8 前立腺全摘のあと(その2)

ていいちOTP

  主治医が『ハイキングや登山をしても構いませんよ』と言ってくれましたので手術が無事終わったという開放感を満喫していました。思えば手術の順番に入れて貰ってから5ケ月余り、入院予定日の連絡を受けるまで随分長く待ちました。

 ダビンチ手術の順番に入れて貰った直後はそれだけで安堵感がありましたが、やはり待つ身は長かったのでした。それが終わったという解放感から、手術後の9月には4度ほど登山をしました。それまでのハイキングのペースを考えるとかなり頻度が高いのでした。そしてハイキングの頻度と関係があるのかないのか、9月の下旬に入ると尿の勢いが少しずつ弱くなり、とうとう排尿時の姿勢をいろいろ変えてみたり下腹部に力みを掛けたりしないと旨く尿が出ない状態になってきました。


 前立腺全摘手術のあとの排尿不具合は、普通は尿漏れなのですが尿漏れはどんどん改善してゆきました。私の排尿の不具合は逆に尿が出難くなる症状でした。また尿が出難くなると、なんだか逆に思えますが、排尿の切迫感が生じるのがとても困りました。

 切迫感が生じると尿意を覚えると間もなく我慢できなくなり漏らしてしまうのです。忘れもしません、9月の30日山形県南部にある西吾妻山へ行く途中で尿意を覚え、トイレを利用できる処までなんとか我慢しましたがクルマを駐車しトイレに入ると同時に切迫感に負け、かなりトランクスを濡らしてしまいました。仕方なくトランクスを脱ぎ、洗ったあと車内で乾燥させました。


 尿が出難くいにも拘らず逆に尿を漏らしてしまうなんて矛盾しています。でも私の体が意思に関係なく尿を出そうと頑張ってしまうのかも知れません。
 この症状が現れても、こんなこともあるのだと納得しようと努力しましたが、とうとう我慢できず診察を受けることにしました。電話をして予約を取ろうとすると交換の担当者に「緊急ですか」と問われたので緊急ではないと答えますと、随分先の10月6日の予約になりました。


 診察時主治医は「緊急と答えればよかった」と言いましたが緊急とは救急車で搬送されるような状況だろうと考えたのです。この日の通院では突然割り込んだせいか予約者が全部終わったあとの診察になりました。

 医師は症状を訊いたあと処置室へ移動し尿道へカメラを入れて検査をしました。尿道内の様子がモニターに映りました。モニターの映像には膀胱との吻合部が細い点のように映っているのが見えました。(尿のような液体が出る粘膜の通路に固くて太いカメラが差し込まれるのは恐怖感がありましたが、なぜ排尿できないのかはっきり知りたいという気持ちが強かったことを覚えています)


 産婦人科の診察台のようなところで股を開きながら診察を受けたのですが恥ずかしいという思いはありませんでした。そんなことよりも排尿が困難な状況を改善したいと思っていました。
 今思えば尿道を進んでいくカメラや描き出す映像をモニターで見られることなど素晴らしい医療環境です。映像で手術時の膀胱頸部と尿道の吻合部狭窄が確認され膀胱カテーテルを2週間置いたままにすると決まりました。

 主治医は「今カテーテルをしてみて、どうしても嫌なら抜きます」と言いましたが症状を治してもらいたい思いが強く長期間でもいいと答えました。結局2週間存置したあと再度通院することになりました。
 カテーテルの先端に栓を挿し定期的にトイレで栓を外して排尿するのですがカテーテルが通っているので勢いは無くても力まず排尿ができました。看護師さんは「排尿の都度消毒綿を使う」よう指示していましたが2週目に入る頃には面倒になって省いてしまいました。
 

 2週間の“在宅入院”は面倒でしたが本当の入院と比べればとても自由ですから面倒に思うたびに“入院”だと自分に言い聞かせて過ごしました。妻は2週目の後半になると「そのカテーテルが取れたら何処かの温泉へでも行ってゆっくり過ごしましょう」と言ってくれました。
 こうしてカテーテルで2週間吻合部を広げたならもう大丈夫だろうと考えていたのですが実はそうではありませんでした。カテーテルを抜いたあと“尿道ブジー”という治療を初体験することになります。思えばこればかりは体験したくない治療ですが排尿し難いという症状を治すためには嫌だなどとは言っていられませんでした。
次は 9_尿道ブジー

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