5 ダビンチ手術(その2)

ていいちOTP

 体幹部CTと骨シンチグラフィーの検査を終えたあと暫くして通院しました。診察室の前で待つ時間がとても長かったのを覚えています。ただどうであっても逃げ場がないという事実は却って自分をありのままに見つめさせ狼狽える気持ちは薄かったように思います。付き添ってくれた妻の方が却って「ドキドキするねぇ!」と怖れていました。

 診察室の前に受け付け番号が表示され、診察室へ入ると医師は淡々とした口調で『前立腺内に留まっています』と言いました。私は、それまで精いっぱい情報を集めた結果ダビンチ手術を受けたいと話しました。すると担当医師は即座にごく軽い口調で『あっそうですか、じゃあ新大病院へ紹介状を書きます』と言います。この日の通院までに新潟市民病院へダビンチ手術の順番待ちを問い合わせていましたので市民病院を希望していると話すと『じゃあ新潟市民病院へ』とこれまた軽い調子で言いました。


 医師は同じような患者を山ほど診察している訳ですから一々真剣に接してはいられないだろうと理解していましたが妻は『あの先生はちっとも親身じゃないね、軽くハイハイって』と不満そうに寂しそうに口にしました。私は仕方のないことだと理屈では分かっていましたので黙っていました。

 ダビンチ手術ができる病院は2016年(H28)に新潟では3病院だけでした。三条市にある済生会三条病院・新潟大学付属病院・新潟市民病院の3病院です。その中では新潟市民病院が一番アクセスし易かったのです。この病院は新築移転していて近代的な感じでもありました。それにその昔市民病院で鼻中隔湾曲症の手術を受けたことがあり親しみもありました。(考えてみると、それはもう26年も昔のことで設備もスタッフも全部が全くの別物です。でも卒業した学校の同窓感覚みたいなものでした。卒業した学校の同窓も時代が違えばスタッフも学生も全くの別物です)


 新潟市民病院へは2月の初めに紹介状を持って通院し、無事にダビンチ手術の順番に入れて貰うことができました。手術を担当する主治医の先生は、26年前の左腎摘出の30cmに及ぶ傷跡を見ながら今なら同じ手術でも“こんな程度の傷跡”だと親指と人差し指を広げながら、ダビンチによる前立腺全摘術に支障はないだろうと言ってくれました。順番が巡って来るのは半年ほど後になるという話で、その間何もしないで待つかホルモン療法をしながら待つかと問われました。私は即答できませんでした。どちらにするか伝えるために次の診察の予約を入れてくれました。医師の考えでは6ケ月くらい何もせずにいても大勢に影響ないという見解でしたが少し考えたいと思ったのです。


 妻と相談しながらどうするか考えました。そして結局医師がそういう判断なら「何もせず順番を待つ」ことにしました。ホルモン療法をすれば、それなりに副作用が出るという説明もあったのです。
 予約日に通院して、手術を待つ間の約半年間何も治療をしないと伝えました。不安はほぼありませんでした。医師の言葉を信じました。実は市内の県立病院の愛想のない医師も6ケ月くらい放置しておいても変わることがないと話していたのです。


 そして約4ケ月後、新潟市民病院から『7月26日に入院、28日に手術の予定なので採血のため通院して欲しい』という連絡が入りました。手術の1ケ月前に自己血を400cc採血して保存しておき手術時に必要になった際、自己血輸血をするというのです。血液の保存期間が定められていてあまり早期に採血できないらしいのです。それならもっと手術近くに採血すればと思いましたが、きっと採血後に体内の血液が元に戻るのに1ケ月ほど掛かるだろうと理解しました。

次は 6_手術その3

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