ていいちOTP

 5_Charade……Civicがまさかのアクシデントになった日、事故現場からタクシーを使って集合住宅の自宅へ戻りました。明くる日から車なしでは不自由です。Civicがひっくり返っている場所が車検を依頼した整備工場のすぐ傍だったので電話をして処理を依頼しました。工場では部品取りができるので事故車を処分していいなら側溝から片付けてくれるという返事でした。車検で後輪のダンパーなども新品に交換していましたが私にはもはや価値がないものでしたのでOKして片付けて貰うことにしました。
 その日、新聞のチラシで走行距離のとても少ない黄色の車を見付けました。ダイハツのCharadeです。4ドア車です。一度4ドアを使えば何かと便利ですから2ドアには戻れません。妻は私の年齢を考えて塗色を懸念しましたが私は店へ出向いてみようと考えました。ミッションが4速でした。5速のモデルもあるので残念にも思いましたが1000ccですから、まぁいいと思いました。
 店の説明では走行距離が少ないのはデモカーとして使っていたからだということでした。グレードは最下位のクルマでした。シートはもちろんフロアも全部ビニール製でした。支払額は85万足らずでした。妻は銀行から引き出した現金を見て悔しそうに
「勿体ないね」と呟きました。

 私たちはアパート住まいでした。アパートの前に駐車するスペースは十分ありましたが県有地であるため融通がきかず車庫証明がとれませんでした。そのため普通車を購入するときは所有権を妻の父に依頼していました。販売店が悪用した場合は〈車庫とばし〉と呼ばれる違法行為ですが私のようなケースでは違法行為であっても社会に何の迷惑もかけない形式的な処理です。
 Charadeの所有者になって貰う為に妻の実家を訪れた時、義父はお見舞いと表書きしたお金を差し出してくれました。私は全く思いもしない目の前のお金に吃驚して戸惑い、すぐに
「これは甘え過ぎだな」と呟きながら袋を差し戻そうとしましたが義父は
「せっかく包んだのだから持って行って下さい」と言いました。私は迷いながら非常に恐縮して頂きました。家族内のアクシデントであり妻の実家に迷惑を掛けることなど僅かでも考えていませんでした。

 この車を購入した時期は冬が始まろうとしている時でしたのでスノータイヤが必要でした。その当時チューブレスタイヤが普及し始めていました。中古車店の担当者はスノータイヤはチューブレス仕様ではないが同じようにチューブなしで使っても問題ないと説明したので多少訝しく思いましたが、チューブなしでホイルに組み込んで貰いました。チューブが無い方がタイヤに釘などが刺さった時にも危険が小さいからです。実際に使ってみると説明の通りでチューブレスタイヤと同じで何ら支障がありませんでした。
 このCharadeは3気筒で非常に滑らかに回りました。リッターカーでも驚くほど軽快でした。当時としては燃費も十分満足できる数字でした。車重を軽く設計されていてマニュアル本の説明では1気筒の排気量が300cc余りの場合に最も燃焼効率を上げることができるのです。実用性を重視した車であり重厚な感じはゼロ。設計のスタンスが半端でなく明快でした。私はこの車をとても気に入りました。床もビニール製でしたが掃除をするとき雑巾で拭くことができ、便利でした。

 この車にも火花強化を謳うボンファイアを取り付けました。またミッションオイルにモリブデンの添加物を入れました。こうした車弄りの効果はいずれも自己満足の域を出ないものでしたが自分の世界に没頭できて楽しかったのです。
 でも一つだけ苦労したことがありました。それは音です。走行中にミシミシという不愉快な音が悩みの種でした。ダッシュボードから聞こえてきます。スピードメータを外して中を覗き、怪しいと思われる場所で接着剤を使用したり手芸店で買ってきたフェルトを挟みこんだりしました。でも、どうしても消えないのでダッシュボードのそれらしい場所に穴を開けて接着剤を流し込んだりしました。それでも音は消えません。ほぼ諦めた頃、走行中にダッシュボードの下の方を僅かに押して見ると“その音”がぴたりと消えたのでした。
 この車のダッシュボードは上部を比較的太いボルト数本で留められていて下部は細いボルト数本で留められていました。ボディに溶接された鉄板(リインフォースメント)にネジ止めされた部分から音が出ていたのです。でも不思議なことにボルトが緩んでいるのではありません。きちんと締めた状態でも音が発生しています。 
 音が出ている箇所を発見すれば音消し作業は90%以上終了です。そのあとダッシュボードを止めている上部のボルトを全部緩め下部の細いボルトを外して布切れを挟みこんで締め直しました。嘘のように音が出なくなりました。こうしてますます思い入れを深くしました。そのあと5年ほど使ったころ洗車時にドアのヒンジの部分が酷く錆びているのを発見しました。

 Charadeで初めて経験したことが幾つかあります。この車に初めてエアコンを装着しました。昭和55年頃、未だ高級車以外はエアコンを標準装備していませんでした。私たちが後付けするのは冷房専用機でエアコンではなかったのですが、それでも非常に高価なもので、汎用品を装着するにもかなり決心が必要でした。Charade用の後付け純正品もありましたが価格差が大きくて手を出せませんでした。
 しかし結果的には汎用品選択は失敗でした。おそらくエアコン本体には大きな違いはないと思うのですが冷媒の配管や個別の車両に取り付ける付属品が汎用品では無理があったのでしょう。エアコンの黎明期でしたから車両ごとの純正品は出荷数が少なく高価でした。
 エアコン装着後しばらくは楽しい思いをしました。でも程なくガス漏れが発生しました。コンプレッサの振動が問題とのことで上級グレードのコンプレッサに交換して貰いましたが幾度も問題が発生し、最初の喜びが大きかっただけに酷く熱が冷めました。そんな風にして別のクルマへ気が向き始めたのでした。

 この頃は毎日広い国道を使って40㎞近くを通勤していました。往復80㎞足らず走っていました。初夏のある日、広い直線道路を走っていると向こうにある警察署から警察官が飛び出してきて駐車場へクルマを誘導されました。速度違反です。ずっと昔から庶民に悪名を馳せている〈ネズミとり〉でした。速度測定レーダーを使って測定地点の一瞬を測定します。出勤途中の不愉快な出来事でした。
 警察のネズミ捕りについては様々なことが世間に流布していますが、問題なのは検挙された人が決して罪悪感を持てず運が悪かったと嘆くと同時に警察のやり方に反感を覚えることです。ネズミ捕りは運転者が走行に危険を感じるところでは行われず殆ど直線道路で危険を感じない場所で行われるからです。速度規制の数字がどのようにして決められるのかも庶民は知ることができません。速度規制の数字は車を運転しない老人が決めているのではないかとも、年間の反則金獲得ノルマを達成するために決められているのではないかとも訝しむのです。ネズミ捕りは善良な市民を敵に回す仕事です。

 私は職場に着いてから忌々しい反則切符を取り出して記載されている空々しい数字などを眺めました。その時ふと気付きました。切符の車種の欄を見ると軽自動車に○がついています。この切符は記載事項不備で無効なのではないか。そう考えると同時に理不尽で横暴な取締りに従事している担当者が真面目に仕事をしていないことに非常に腹が立ちました。取り締まる側と検挙される側の精神の落差を考えると我慢がなりませんでした。この事実を公けにしたいと考えました。でも自分の仕事の世界しか知らず若かった私は結果的に思いを果たせなかったのでした。
 私は反則切符の不備を町の毎日新聞の支社へ手紙で知らせました。すぐに新聞社の担当者から電話が入り、電話連絡をしてきた人は
 「あなた、私と一緒に警察署へ出向きましょうか」と云いました。てっきり一緒になって抗議してくれると思いましたが正反対でした。数日後、警察署へ出向くと署長が応対しました。そのとき直ぐに同行してくれた人と署長の間には友好的な雰囲気があることに気付きました。警察と新聞社の人間とは敵対してはいませんでした。お互いに情報を介して弾力的な距離がありました。新聞社の担当者は私の連絡を受けて警察署に同行して間を取り持てば貸しを作ることができると考えたに違いありません。私が強いことを云うと新聞社の男は
「…そんなこと言っちゃ駄目ですよ」と制止しました。署長室を出るとき署長が毎日新聞の男に短く礼を云っているのを聞きました。帰路の車中で新聞の男は
「読者の声欄などに投稿されたらどうですか」とうそぶいたのでした。

 その後、《車検で五万円得する法》を著わしてユーザー車検を世に仕掛けた岡田三男さんへ反則切符のコピーを同封して訴えましたが返事にはドライバーが結束して力を得るより他に方法がない旨書かれているだけで個別のケースに役立つ内容はありませんでした。そして日々の仕事にエネルギーの大半を使い果たしていた私は残念ながら反則金を納付しました。

 岡田三男さんはのちに都知事選に立候補するなどして信念を実行しました。かなり現実離れした選挙公約も含まれていましたが、彼の著書のお陰で全国のメカ好きのユーザーが整備工場に依存することなく自身で車検場のコースで車検を延長することができるようになりました。
 《車検で五万円得する法》というカッパノベルズの本に出会ったのは鶴岡の駅でした。その日職場の先輩を助手席に乗せてドライブをしました。鶴岡まで走って駅へ寄った時、この刺激的な表題の本を見つけたのでした。Civicの車検で苦い経験をしていたのでとても興味が湧きました。駅ではパラパラと開いてみるだけで棚に戻しましたが、のちに街の書店で求めてむさぼり読みました。
 この本は車のメカに興味を持っていて部品の定期交換や特殊工具のいらない整備などをDIYでやっていた多くの人たちにとって“目から分厚いうろこ”の画期的内容でした。車検はそれほど深い知識がなくても本に書かれているとおりにやれば自分でとることができるという内容でした。

 車検に関わる道路運送車両法の何処にも車検を整備業者に依頼しなければならないと書かれていず、車検は車両を使用する者が継続検査を受けなければならないと書かれているだけです。
 著者は当時のクルマでも、暴走を趣味とする人は別として、普通のユーザーなら初回の車検で特別に整備を要する箇所など殆どないというのでした。整備工場が点検料の名目でメカの知識のない人から金を取るやり方をクルマ屋でなく車検屋だとバッサリ断じていて溜飲を下げました。
 ディーラーに勤務する人から『車検が一番売上げ効率が良い』と聞いたことがあります。詳しくは知りませんが整備工場の主たる収入は車検入庫ではないでしょうか。一度でもユーザー車検で車検場の検査ラインを通せば整備工場が計上している一万円前後の尤もらしくて中身不明の費用その他に不審な思いが募るものです。
 25年以上昔ですが、この本を読んで心が躍りました。Charadeの車検までに更に一冊のユーザー車検に関する本を買って研究を十分にやりました。
 車検場へ初めて行き手続きをして検査ラインに並んだ時、高揚した気持と酷い緊張感でした。でも意外なことに検査官の若い人が傍に来て親切についてくれ10分ほどで検査に合格しました。あっけないほどでした。これ以後、車検を工場に依頼したことがありません。当時はユーザー車検が未だ市民権を得ていなかったようで2度目のユーザー車検の時は意地の悪い威張った検査官に当たり悔しい思いを抑えなければいけませんでした。

 Charadeで初めて自分で車検を取る前の春、突然エンジンが掛らなくなるアクシデントがありました。まだシリンダに吸入する混合気を調整するのにキャブレターを使っていましたので、寒い日はチョークを引いてエンジンを掛けました。ある日、妻が「エンジンが掛らなくなった」といいます。試してみると確かに掛りが悪くチョークの引き方を微妙に変化させなければ掛りません。明らかに故障です。しかし町のダイハツさんへ持っていくとサービスの人が工場へ入れて試したあと、すぐにやってきて「エンジンが掛ります」とこともなげ云います。「いや掛りが悪くなったんです」と云っても「車によって色々ですから」と取り合ってくれません。仕方なく自宅へ戻り、そんな訳はないと考えエンジンの掛りが悪くなった原因をイメージしたり、マニュアル本を研究したりしてやっと原因を突き止めました。

 この車にはエンジンが温まったあともチョークを戻すのを忘れている場合、自動的にチョークをキャンセルする部品を装着していました。その部品の不具合でエンジンが冷えている状態でもチョークの効果がキャンセルされるのかも知れないと考えました。果たして部品から延びる負圧用のチューブに栓をして試すと正常に始動できました。ただエンジンが温まるに従って忘れずチョークを戻さなければいけないわけです。でもそれ以前はチョークを戻すのが当たり前だったのです。私は逸る気持を抑えながらダイハツへ行って説明しました。サービスマンはきまり悪そうにして
「…そういう処置で直るなら、その部品が悪いということになりますね」と云いました。注文した部品が届き、工場へ出向いた時サービスマンは
「凄いですね、ていいちさんくらいだとユーザー車検なんかに興味を持ちますか」と尋ねました。私は次回の車検はユーザー車検をやろうと思っていると応えました。そして得意な気持になって帰ってきました。

5_ シャレード

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