ていいちOTP

 2_NⅢ360 ……26歳の秋に購入しました。初めて自分が所有する車で、購入を決心して納車されるまでの期待感は例えようもなく大きかったです。まだ社会人になって3年しか経っていませんでした。結婚したばかりでした。資金はありませんでしたが購入店が銀行から〈マル専手形〉というものを発行して貰うように手続きしてくれました。クルマの価格は30万円余りでした。
 NⅢは各社から軽自動車が発売されている市場へホンダが世に問うた車でした。しかし私が性能について知るのはあとのことで、この車を選択したのは購入価格が他よりも廉かったからです。
 当時ホンダは四輪車の歴史が浅く、それ以前の販売網はオートバイのそれだけだった筈です。そのためNⅢの販売も全国各地の自転車店や複数の店が共同して新たに作ったホンダ車販売店が活躍していたと思います。

 NⅢのエンジンルームを開けると小さな空冷の2気筒エンジンが見えました。エンジンはオートバイのエンジンに少し手を入れたものらしく深いフィンが周囲を取り囲んでいました。OHCでクランクシャフトからチェーンでカムシャフトを駆動していました。
 購入したあと初めての点検に店を訪れた時、店で勤務していた若い人がいとも簡単にエンジンのヘッドカバーを開けてカムシャフトとロッカーアーム(カムの動きをバルブステムに伝える部品)の間にシックネスゲージ(薄い板状の金属)を入れて遊びを調節してくれました。
 その無造作に見える作業に私は興味を覚え、これなら自分でもできると思いました。子供の頃から機械が好きだったのでDIYのため程なく作業に必要なメガネレンチとシックネスゲージを購入しました。

 現在の車はメンテナンスフリー化が進んでいますが当時は定期的に調整しなければならない個所が沢山ありました。幾つかの走行性能を左右する重要な項目も今では無関心でいても問題なくなっています。
 例えば点火プラグに火花を飛ばすためにポイントという部品があり常に高速で接点を開閉することでイグニッションコイルによりディストリビュータを経て高圧をプラグへ配っていました。そのため定期的にポイントを交換して正しいポイントの開閉時期を調節しなければなりませんでしたが、その作業をやる時の緊張感と高揚感は作業後の充実感と相まってかなりな喜びでした。
 この車のオイルフィルタはエレメントだけを交換する当時でも珍しいタイプで、現在のようなケース一体型ではありませんでした。そのため部品は廉かったのですが取り付けるときにオイルシールのOリングが歪んでいたりすると非常に面倒でした。
 ブレーキシューの交換もしました。初めての経験でした。ドラムの外し方を知らずドラムの端の狭い部分を嫌になるほど叩いて、やっと外しました。ブレーキシューを交換してドラムを元に戻す作業よりもドラムを外す作業に数倍の時間が掛かりました。ところが作業後、道路を走ってブレーキを踏むと、どうしたことか殆ど効かないのです。再度ドラムを外すのが嫌で仕方なく〔ホンダSF〕へ行き症状を伝えました。ホンダSFは当時販売網を各地の自転車店などに依存していたホンダが修理専門工場として全国の拠点に設置していたものです。

 SFではアクスルナットを外した状態で再度ドラムにタイヤを付けて銅ハンマーでホイルを内側から叩いて、いとも簡単にドラムを外しました。そしてブレーキシューにサンドペーパーを掛けています。それを見てブレーキが効かなかった理由が分りました。交換したシューの中ほどだけしかドラムに接触していなかったのです。つまりドラムが磨り減り内径が大きくなっていたのです。
 ブレーキシュー交換の場合には径が大きくなったドラムと新品シューの円弧を合わせる必要がありました。これを業界では“弧合わせ”と称していることを知りました。この失敗は実際に作業をしなければ経験できないものです。
 ところが不思議なことに、そのあと幾度かブレーキシューの交換作業をしましたが一度も孤合わせが必要なほどドラムが摩耗しなかったのです。ドラムの材質に問題があったのか道路事情が悪かったのか分りません。確かにダートの道は急速に舗装が進み砂塵が上がらなくなりました。

 クルマの整備をする為には知識と経験を積む必要がありますが、最も大切なことが適切な工具を揃えることです。
 ある日それを実感できる経験をしました。その日、ある目的でバンパーを外そうとしましたが巧くいかずSFへ持ち込みました。日曜日でしたが当番の若い人がいました。用件を話すとすぐに奥から工具を持ってきてバンパーを固定しているボルトを外してくれました。
 それは柄の長いT型のボックスレンチでした。当番の人は作業値段表を開いて五百円を請求しました。その経験から私は整備工場でなくとも必要な工具があれば自分で作業ができると考えるようになりました。T型ボックスレンチは普通の家庭にはありませんが整備工場ではとても一般的な工具です。
 自分でやる場合は経験が乏しい代わりに慎重に時間をかけてイメージトレーニングを十分に重ねてから取り掛かれば殆ど巧くいきます。

 ポイント交換、オイル交換、オイルフィルター交換、スノータイヤ交換(当時スノータイヤと称していました。ホイル付タイヤを持っている人は少なくタイヤだけを同じホイルを使って交換しました。のちに鋲を埋め込んだタイヤが売られましたが路面を削り粉塵問題が深刻となり鋲が禁止されスタッドレスになりました。)、ファンベルト交換(この車のファンはシリンダーの後にあり、空気を押し込むのでなく吸い込み式になっていました。また吸い込んだ空気をそのまま室内へ流して暖房としていました。(そのため埃っぽい道路では暖房できませんでした)

 この車のDIYの部品交換で極めつけはセルダイのブラシ交換でした。セルダイとはセルモータとダイナモ(直流発電機)の両機能を持ったものです。エンジン始動の際、電流を流して回転させエンジンが掛ると電流を取り出してバッテリに充電します。これのブラシを交換するには大きくて薄いスパナが必要でした。工具店で尋ねると必要な挟み幅のスパナは販売されてはいるが、もはや重機用でスパナの厚さがそれなりに厚くなるとのこと。
 仕方なく工事現場で拾ってきた適当な鉄板を街の溶接屋さんに依頼して大型で薄いスパナを製作しました。このスパナを使ってブラシを交換することができました。この話をクルマを買った店のご主人に話すととても驚かれました。普通は特殊な専用工具を持っている人はいないのでブラシ交換はSFでしかできない作業でした。そんな作業を失敗なくやり終えて充実感が漲り得意な気持にもなりました。

 ある日何かの作業依頼でSFを訪れた時、担当の人がエンジンルームを開けて怪訝そうに尋ねました。
「これは初めから付いていたんですか?」指差したのはエンジン上部のカムシャフトの支持部です。
「ここはタコメータを繋ぐところです。」 私のNⅢはスタンダードでタコメータなどなかったにも拘らずコスト高の部品が付いているという珍しい現象でした。しかしのちにこの部品からオイルが噴き出して大ごとになり修理の際本来の部品に交換されてしまいました。

 初めての車のグレードをスタンダードにしたのは主に価格の違いからですが使い始めてすぐにもう少し使い易くしたいと考えるようになりました。最初は乗り降りするときに靴が触れて傷が付くのが気になり、上級グレードに装備されているサイドシルプロテクタを取り付けました。次にリクライニングシートに憧れ、リクライニングシートを部品として注文するととても高価でしたので解体屋さんを見て回り、譲ってもらいました。雨曝しのシートは汚れていましたのでビニール製の表面を丁寧に剥ぎ取り自分の車のシートから剥ぎ取ったシートを被せて接着したのです。思えばよくそんな作業をやったものだと思います。

 この車で失敗したこともいろいろあります。最初はポイントカバーのボルトをなめたことです。ポイントは普通はディストリビュータにありキャップはボルトでなく板バネで固定されています。しかしNⅢにはディストリビュータがありませんでした。
 現在の車も排ガス規制が厳しくなるにつれて点化機構が進化したのでディストリビュータがありませんが、NⅢは別の理由でディストリビュータレスでした。この車はイグニッションコイルから2本のハイテンションコードが出ていて、それぞれが直接プラグに接続されていました。4サイクル2気筒の圧縮行程と排気行程で同時に火花を飛ばす『同時点化方式』だったのです。こうすることによってディストリビュータを省略できます。しかし点火プラグの寿命は半分になるでしょう。
 “なめる”とはボルトを締め過ぎて雌ネジの山を潰してしまうことです。ネジを強く締めたという自覚がありませんでしたが突然締め付けトルクが消え、ボルトを引き出すとネジ溝に細い雌ネジの残骸が螺旋状に残っていました。エンジンブロックがアルミでしたから雌ネジに対してボルトの雄ネジが微妙に細過ぎたに違いありません。これ以後私はボルトの締め付けトルクに注意を払うようになりました。ボルトの太さや締め付ける相手の材質などを必ず意識するようになりました。

 またエンジンオイルを異常に減らしてしまったこともあります。今思えばNⅢで走ったことを驚いてしまいますが、京都まで往復したことがありました。往復約1,200㎞です。高速道路はありませんでした。
 帰ってきてエンジンオイルを点検するとレベルゲージが濡れてきません。驚いて目を凝らして見ると先端に辛うじて1mm程オイルが付着しています。空冷エンジンで油温が高くなるからか小さなエンジンを高速で回転させるからか、オイルが減り易かったのです。驚いてオイルを補充しました。
 また長距離を走る機会が多い季節、エンジンルームを覗いている時ふとバッテリを見るといつもよりも白っぽく見えます。よく見るとバッテリ液が殆ど空になっているのを発見しました。すぐに補充液を買ってきて注入しましたがバッテリの極版が露出したバッテリは致命的で程なく駄目になりました。

 部品交換などを趣味と実益を兼ねて面白がってやり始めたのですがクルマについて広い知識はありませんでした。でも一つずつ知識を広げると同時に工具類も増やしていくことになりました。この車からエンジンオイルを自分で交換しています。オイルを自分で交換すると非常に割安です。しかし未だカー用品店が殆どなく4リットルの化粧缶を手に入れることは難しかったのです。そこでガソリンを給油している店で4リットル缶を譲ってもらい、その店でオイルを量り売りして貰いました。またエンジンから出した廃油もその店で捨てて貰っていました。
 ある日廃油を捨てて貰うよう依頼して、ついでにオイルを貰いたいと話すと黒くなった廃油を捨てた缶に無造作に新しいオイルを注入したことがありました。
「あっ!そんなところへ!」と驚いて声を掛けましたが店員は私の驚きを理解できずポカンとしています。高速回転する自動車のエンジンにはオイルフィルターを設けて微細なゴミでも捉えるよう設計されています。廃油で汚れたままの容器へ新しいオイルを注入するなど信じ難いことでした。その中年の店員はきっと自分で使う農機具のオイルの扱いがその程度だったに違いありません。農機具のエンジンは回転数が高くなくオイル管理もそれほどシビアでないのかも知れません。

 初めての自分の車が嬉しくてあちこちへドライブ旅行をしました。南魚沼の折立温泉、山形の山寺立石寺、裏磐梯などです。京都へも2度往復しました。一度は私が仕事を辞めようとしたとき夜間に1人で走りました。助手席に20リットルのガソリンを入れたポリタンクを置いて走りました。途中金沢で給油しました。当時は夜間にはガソリンスタンドが店を閉めるからでしたが、思えば危険なことをしました。2度目は家族3人でやはり夜間に走りました。高速道路がありませんでした。

 NⅢの走行性能は非常に良かったのですが空冷エンジンで騒音がもの凄かったのです。おそらく騒音があっても性能を維持するには已むを得ないというスタンスで設計されたのだと思います。燃費は前に使っていた350ccのオートバイよりも良かったです。この車は確かにホンダの傑作だと思いますが、その評価は層の広い人たちによるものでなくマニアックな若者によるものだったと想像できます。

2_ NⅢ360 

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