6_スタンス

ていいちOTP

   人々は皆それぞれの内に生活上のスタンスを持っています。スタンスという言葉は生活信条とか態度とかを意味しますが、カタカナ語ですから日本語ではある程度の幅がある概念のように理解することもできます。しかし近年報道される犯罪を見ると人心のスタンスなどなく何でも有りという風潮が増幅されているような印象を強く持ちます。人として侵してはいけないとする境界線が少しずつ後退していくようです。
 幼児期から成長するに連れて怪我をすることも多く、その度に痛い目に遭います。思春期などには心の痛みをあまた経験します。そんな経験をすれば人を痛い目に遭わせるのを躊躇う気持ちになるのが自然です。しかし現在では成長の過程で痛い目に遭わずに大人になっている人が多いのか他人の痛みを慮ることを知らない人が増えているようです。心に持つスタンスは多少とも人の「痛み」に思いを馳せることが基本になっていると思います。

 昭和三十年代半ば頃、私は高校生でした。私が侵してはいけないと考えていたのは人に迷惑を掛けることでした。逆に考えると人に迷惑を掛けなければ何をしてもよいというスタンスです。16歳という短い人生の中で獲得した信条でした。それは社会性に乏しく素朴過ぎる信条でしたが社会的な誘惑が多くない時代だったので自分の生活をそれなりに律することができたのです。傍目からは顰蹙を買うような場面があっても、それ以上に踏み外すことはありませんでした。

 その日は梅雨が明けて間もない頃で、酷く蒸し暑い京都の夏の夜でした。時刻は午後10時を半ばほど回っていました。私は友達の隆雄のところで遊んでいたのですが、部屋の暑さに辟易して外へ出たのでした。隆雄は自転車を引いていました。市電の下鴨線に沿って南へ走り今出川を右へ入ると左手に御所の木立が見えます。御所の脇の小路を南へ走りました。右手に見える御所の木々がほの暗い中、まるで深い森のように感じられました。私と隆雄はその森の中へ入って行きました。昼間は人々の憩いの場になる所ですが夜間はひと気がありません。夜は2人であっても少し気味が悪いのですが所どころ森のように茂っているため涼しくて気持ちがよいのです。
 隆雄は砂利を引いた路面を勢いよく自転車を走らせました。それを追って走りながら大きな声を出しました。
「おーい待てよぉ」夜の静寂の中で砂利の弾ける音がしました。遠くに小さく明かりが灯っている場所がありました。
「おいっ〜!こら〜!」突然大きな声がしました。遠くの明かりから誰かが走ってきます。それは警察官でした。遠くの明かりは御所の出入り口に配置された交番でした。
「ちょっとこっちへ来い」強い命令口調です。中年の若くない警官でした。その警官は私たちを交番へ連れて行くと
 「お前ら、今頃の時間に何してるんじゃ」と云いました。交番には女性がいました。近隣の知り合いのようでした。
「何が悪いんや…!」私は大きな声で言い返しました。警察官は私の勢いに困惑した様子です。警官に注意を受ければ普通の高校生は大人しく反応したのでしょうけれど私は違っていました。
「何が悪いって…当たり前やないか」
「何が当たり前なんや、なんにも悪いことしてへんやないか」
 私は中学生の時、プチ家出をして中立売署でお灸をすえられたことがありました。戦前の体臭を丸出しにした署員に理不尽で強圧的な「指導」を受けた経験からひどく警察嫌いになっていました。私は何も悪いことをしていないという確信がありました。夜の御所で友達と居ただけです。誰にも迷惑を掛けていませんでした。
 指導したつもりの高校生に「何が悪い」と返されて警官は一瞬言葉に詰まって、そして云いました。
「君らがこんな時間にこんな場所にいること自体が悪いことやないか」

 私たちは学校でも高校生らしくするようにと指導されていました。しかし高校生らしくと云うのは当時の大人にとってどんなイメージであったでしょう。何々らしくというのはいつの時代でも大人が理解し易く危なげのない「形」を意味しています。人々は…らしくしている人たちを見れば一応安心なのです。
 私の服装や身なりは学校の指導のままでした。こそこそと違反をしたくありませんでした。不服を感じていましたが校則を変えるべきだと考えていたのです。高校は私立で丸刈りを強制していました。しかし多くの生徒が違反を承知で僅かばかりずつ伸ばす髪形をしていました。私は姑息に抵抗するのは嫌でした。抵抗するのでなく学則を変えて貰いたいと考えていました。思えば学校としては姑息に校則違反をしている者は扱いやすく、学則を変えるべきだと考えている者こそ脅威だったに違いありません。

 その警察官は、悪いことはしていないと余りに強く主張する私をまじまじと眺めました。服装に文句をつける余地がないと思ったらしく「身分証明書を持ってるか」と云いました。私は生徒手帳を出しながら
「なんにも悪いことしてへんのに、いきなりおいっ!こらっ!とか怒りつけるのはおかしいやないか」と言い返しました。
 午後の10時を過ぎた時刻に御所にいることを悪いことだと決して認めない私に対して振り上げたゲンコツの下ろし所がなくなった警官は
「お前ほんまに悪いことしてないっちゅう自信があるんやったら、自分で今学校へ電話をして事情を報告できるか」と尋ねました。勿論私を脅したのです。私はそれまで非行のジャンルには興味がありませんでした。気が小さく勇気がない性格で危なっかしい友達は皆無でした。その夜も絶対の自信がありましたので
「あぁ電話できる」と答えました。学校で何か指導を受ければ、やはり「悪いことは何もしていない」と主張するつもりでした。高校生にとって如何わしい店のある繁華街にいたわけではありません。何もない御所の森の闇にいただけです。
 「ほな、この電話で学校に今すぐ電話してみい」といいます。警察官はもう自分では指導できなくなり、このまま帰すと警官として大人としての沽券に関わるため最後の脅しを掛け謝らせようとしたのです。しかし私は交番の受話器を取って耳に当てました。
 ダイヤルを回そうとした時、僅かに躊躇いが出ました。顔を上げて
「ほんまに電話すんの」と云うと警官は即座に
「まっ、せんでもええわ」と云いました。最後にその中年の警官は
「今頃の時間に自転車を追いかけてるのを遠いとこから見たさかい、逃げる者と追いかける奴やと思うたんや」と云って、早く家に帰るようにと云って放免したのでした。
 隆雄と一緒に帰る道すがら、ぶつぶつと文句を言う私に
「まだ云うてんのか、まぁええやないか」と至極冷静でした。私ばかりが興奮しているのでした。

 あれから50年近くもの年月を経てしまいました。思えばあの頃は未だ戦後15・6年の頃で警察官の体質は戦前のそれを色濃く引きずっていました。私たちの親も教えを受けた教師たちも突然の民主主義に戸惑ったでしょう。democracyがどんなものか知らないままに、突然自由が前面に押し出され、それと不可分である責任は後ろに控えてしまいました。責任を強調すると角が立つという日本的な精神風土がその理由ではないでしょうか。
 自由と責任がともに重視される精神風土が日本の社会に根付く時代が来るのでしょうか。デモクラシーとは自由な行動と、その結果責任とのバランスが取れている状態です。そんなスタンスをもって日々生活してゆきたいと思います。
 
  
space
6_スタンス
inserted by FC2 system