子供の頃から自分が普通じゃなかったと今にして考える。それを顕著に思い返せるのは高校時代かもしれない。そのことを積極的に肯定はしないまでも否定的に感じてはいない。
 中学1年の頃、夕刻にラジオから流れてくる番組のテーマ曲があった。たしか〈よろこばしきおとずれ〉という番組の冒頭に流れる曲だった。程なくそれがキリスト教の番組だと分かったが中身ではなくテーマ曲が強く心に染みた。暫くしてその曲がベートーヴェンの交響曲第五番〈田園〉だと分かった。レコードを買えば好きな時に聴けると知った時の嬉しさを今でも覚えている。その後、交響曲一番から九番までを買い求めた。
 後年職場でそんな話ををすると若い人たちから「変な子供だったんだぁ~」と言われてしまった。そんな感想を聞いて自分が変わっているのかも知れないと思った。
 高校2年の時〈初歩のラジオ〉という雑誌を持ってきたクラスメートがいた。そこには初めて見るラジオの回路図があり、それとは別に実体配線図というのが載っていてコンデンサー・抵抗・コイル・バリコンなどがイラストになっていた。今ではラジオの回路全部が小さな集積回路になっているので抵抗・バリコンなんて聞いたこともない人が殆どだろう。それはともかくラジオというのは回路図どおりに部品を半田付けしてきちんと組みあがっているか確認して電源を入れる瞬間の期待と緊張感も楽しむものだった。そんな半田付け作業に没頭し夕刻から夜明けまで熱中することも度々あった。
 15年ほど前、職場の人が「うちの主人はパソコンを自分で作ります」と言ったので仰天した。パソコンは知っていたが中身がどうなっているか考えたことがなかった。頭の中は半田付けで回路を作ることからあまりアップデードしていなかった。パソコンを作るなんてコンデンサー・抵抗とまで考えないまでも集積回路を組み合わせて半田付けをして完成までにそれなりの時間と知識が必要なのだと誤解をしていた。
 パソコンの中身はHDD(近年ではSSDも)・光学ドライブ・データを出力するビデオ回路そして心臓部であるCPU(中央演算ユニット)ともう一つマザーボードである。実はマザーボードとは家電製品にも必ずあるメイン基板のことで、それが数多くの集積回路などが基板上に実現されたパソコンの回路そのものなのだ。このマザーボードにCPUが組み付きHDD他が結線されている。つまりパソコンを作るというのは簡単に言えば電気的な組み合わせに齟齬をきたさないよう留意したあとは10個に満たない部品を半田付けなしにケースに組み付けて完成させるものなのだった。
 大人になってからはクルマ弄りや運転免許を複数取って休日を利用してクルマの点検や部品交換を楽しんだ。勿論遠くへドライブもした。
 自分が心楽しく没頭できるものが幾つかあるが、そのどれもが自分一人で楽しめるものだ。つまり孤独の中で相当の時間を過ごすものだ。そういえば軽登山やハイキングも高校時代から始めたものだが独りで森を歩くことが多かった。
 孤独というとネガティブなイメージだが何かに没頭している時はどうしても孤独になってしまう。謂わば能動的な孤独だ。
 子供時代から一人でいることが多く、それに慣れていたせいか教室ではいてもいなくてもよい存在だったと。だから必然的にいじめる側にもいじめられる側にもならなかった。思えばやはりかなり変わった子供だった
 ある時ネット検索しているとアスペルガーについて書かれたページがあった。アスペルガーの人でも普通に社会生活を営んでいる人は数多く、その傾向のある人も含めれば想像以上の数になるらしい。一般にはちょっと変わった人という感じだという。
 アスペルガー傾向のある人の特徴的な項目を見ると、いちいち自分に当てはまることに驚き瞑目した。曰く場の雰囲気を忖度せず意見を述べる・興味あることには徹底して知識を得ようとする・拘りが強くルーティーンを守る等々。これまで正しいと思えば黙っていられないことが多かった。その昔職場で問題が生じたとき、あちこちへ連絡をとって問題点を明確にして報告した。すると片隅から「白黒はっきりさせるねぇ」という小さな声が聞こえてきた。その日はそれを問題が明確になってよかったという感想だと誤解していたがそうではなく白黒はっきりさせる嫌な人だという感想だと分かった。
 数多くの経験を経て自分の性格の根っこを認識できるようになった。自分でも少しおかしく人と違う処があると分かる。反省もするが同じことを繰り返してしまう。仕方がないと半ば居直りたい気にもなるが、できるだけ俯瞰して見つめるもう一人の自分を忘れないようにして年齢を経る毎に益々速く過ぎ去るようになった日々を慎重に過ごしていくしかないと諦観した。
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69 孤独だって
69 孤独だって

ていいちOTP

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