もう遥かな過去になりますが中学生になってから高校大学まで、ずっと頭から離れないことがありました。それはどうして自分が日本に生まれてしまったのだろう。なぜアメリカ人に生まれなかったのだろうという思いでした。
 当時は勿論○○人といっても国籍だけの問題だという深い理解はありませんでしたからアメリカ人に生まれれば英語を勉強しなくてもよいのに…という理由でアメリカ人なら良かったと思っていたのです。

 第二次世界大戦が終わる半年前に生を受け、物心ついた頃はこの令和の日本人には絶対に想像できない貧しい世界でしたが半面それ以外を知らなかったので“貧しい”という意識もありませんでした。勿論戦争があったことさえ知りませんでした。大人たちは長い戦争中の苦しい時代を思い出したくないのか口にすることも殆どなかったように思います。

 中学生になって英語の勉強が始まっても日本語とまったく違うことに戸惑うばかりで、なぜ英語なんか勉強しなければいけないのか全然理解できませんでした。当時はきっと教えている先生たちも英語を専攻してきたのでなく必要に駆られて講習などを経た俄か英語教師だったのかも知れません。
 しかし親や世間の大人たちは英語に対するコンプレックスなのか憧れなのか“横文字”がカッコいいと感じていたようなのです。アルファベットを知らなくても片仮名で表現することがカッコいいという感覚だったようです。同じ意味を表す日本語が日常的に存在しているにも拘らずそんな風潮が育ちつつありました。

 そして日本中に横文字が氾濫した日常の中で親の世代の人たちの間では横文字はおかしいという声が上がりました。それまでは横文字の台頭に異議を唱えると世の中に付いていけない存在だと見做されるのではないかという危惧から声を大にできなかった人たちです。ですが世間の横文字はそんな声に影響されずに増え続け社会に定着していったのです。
 戦後、横文字が増えつつ世の中に定着していったのは欧米へのある種の劣等意識が大きく影響しているのは間違いないでしょう。〈人は見た目が9割〉という書籍もあります。勿論限定的な条件下でのお話ですが確かにそうかも知れません。日本のメディアに顔出しする女子アナを見ても堀の深い顔立ちの欧米人とのハーフという人が多数います。横文字はそんな外見とも関連があるのかも知れません。
 最近でこそ日本的・東洋的なものが見直されつつあり欧米の文化と日本文化とは違いはあっても優劣はないと認識されていますが半世紀以上も昔は欧米の方が優れていると認識されていたのです。
 現在では戦後以降増え続けた横文字はすっかり日本に定着しました。そして数多くの横文字が日本語化してしまいました。
最近、気になる言葉がありました。
妻が涸沢カールに泊まるツアーに参加して朝日に輝く写真を撮ってきました。上高地から穂高を望む裏側の涸沢から朝日が昇ると岩稜が赤く輝くといいます。ツアーガイドの人がそれを『モルゲンロート』というのだと教えてくれたそうです。そのあとメディアでもモルゲンロートの映像があると意識して見ることが多くなりました。
ある時ふとモルゲンロートの意味を考えました。言葉の響きを考えるとドイツ語です。またモルゲンとロートは単語が別に違いないと。
モルゲンは英語だとモーニングでしょう。そこまでは良かったのですがロートは良く調べもしないで誤解しました。英語ではライトだと思ったのです。結果モルゲンロートは英語ではモーニングライトで日本語では朝の光ですから朝日が岸壁に反射して赤く輝いているという状況だと考えました。それなら〈朝焼け〉と言えばいいじゃないかと…。岳人がカッコつけて朝焼けを敢えてモルゲンロートなどとドイツ語を使っていると思いました。

ただ上高地から徒歩で約6時間かけて涸沢に泊り、穂高を目指そうという朝にその山々の岩稜が輝いている光景は岳人にとって特別なもので単なる〈朝焼け〉などではなく〈モーニングライト〉でもなく更に稀有な響きを感じる〈モルゲンロート〉が相応しいというのは十分に理解できます。ですから朝焼けでもいいのにモルゲンロートなのかなと考えました。

ところで誤解は横着な態度が原因です。ロートはライトではなくレッド『赤』という意味だったのです。まぁ朝焼けなら似たようなものですが、横着な誤解を恥じました。そして更に〈モルゲンロート〉はカッコつけているのではなく登山用語だといいます。なるほど『○○用語』ということなら専門用語ですから、もはや理屈をこねる余地はありません。


 

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65 モルゲンロートってなに
65 モルゲンロートってなに

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