ここ数年韓国との関係がよくありません。韓国の司法がその昔の慰安婦問題や徴用工への個人としての賠償請求権を日本や日本の企業に認定したからです。日本政府の見解では50年以上昔に両国が交わした〈日韓請求権協定〉で解決済みだという立場です。

 こうした問題の原因になる事実は私が生まれるよりも昔、つまり75年以上も過去のことなのです。恐らく当時は軍事力を含む国力が段違いで日本が朝鮮半島や満州(中国東北部)で酷く横暴な振る舞いをしていたのでしょう。そして大部分の日本人はそれが横暴だとは認識していなかった。そしてまさか75年以上経た未来にそのことで日本が困る羽目になるとはだれ一人想像もできなかったことでしょう。
 しかしここでは上に述べたような原因や結果それに国際的な法的問題を云々しようというわけではありません。ただ日本と韓国が仲良くなることを願っているだけです。

 最近テレビで紹介されていた印象的で素晴らしい光景がありました。それは日本人が韓国の街頭で日本人だと明示して、韓国と日本が仲良くなりたいからとフリーハグをしている姿でした。街を歩いている人たちがそんな日本人の態度に応えてハグをしてくれるのです。とても感動的な映像でした。
 また別の番組では東京の渋谷?でチマチョゴリを身に付けた若い女性が、自分は韓国人だが韓国と日本が仲良くしたいのでと、フリーハグを求めている姿がありました。この勇気ある映像も感動的で素晴らしいと思いました。

 ところでこのような庶民レベルの“国際親善”行動には感動的で素晴らしいという感想とは別に偽善的なものだと評価する人もいます。デモクラシーが成熟した社会では勿論どんな意見表明も、暴力によるものでなければ、尊重されなければなりません。
 しかし何かを偽善的だと言えるのは“美しい行為”の裏に隠れた“薄汚い事実”が相応に存在する場合ではないでしょうか。例えば本当は危険を冒して人助けなんかしたくないが、その振る舞いが近い将来金儲けに繋がるなんていう状況です。

 そうだとすれば上の日本人と韓国人の若い人たちの隣国でのフリーハグという振る舞いは偽善なんかじゃありません。偽善的だという人は或いは『あんなハグなんかしていても自分の命が脅かされる究極の選択を迫られれば相手が死んでも自分は助かりたい筈だ』と考えているのかも知れません。
 海に投げ出され浮きになる板切れが1人分しかなければ自分だけが板切れをとるかも知れないということです。

 確かに究極的状況ではそうかも知れません。でも考えてみて下さい。正義や倫理というのはどれもこれも相対的なレベルが前提なのです。言い換えれば全部〈程度問題〉なのです。しかもその是非が問われる範囲も〈特定の社会〉の中だけなのです。
 そう考えれば韓国人と日本人がいがみ合わないで仲良くしたいとの思いから互いの国の繁華な街中でフリーハグを提案しているのは間違いなく素晴らしいことです。互いの国の人がハグをして相手の体温を感じながら『仲良くしましょう』という意思表示をするなんて美しいことです。
 そんな経験を経た人が将来母国を率いる立場になるかも知れず、そうなれば一層相手国との争い回避に努めて下さるでしょう。
 そんなものは単なる美談だという人もいるかも知れません。でも私は美談を嫌いじゃありません。
 

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64 国境を越えたフリーハグ
64 国境を越えたフリーハグ

ていいちOTP

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