62 痴呆かも 

ていいちOTP

小説形式 長くてすみません

 和樹は年毎に近くが見え難くなっている。初めの頃はそれと知らないままにものを読むときに離していたらしい。ある時、職場の同僚の女性から「ずいぶん離しますねぇ」と言われた。冗談っぽい口ぶりだったが、初めて自分が老眼なのだと自覚した。
 思い返すと近くが見難いようになったのは四十代半ばから始まったように思う。その後少しずつ進行し「ずいぶん離す」ようになってから二十年以上の年月を経てしまった。
 五十の半ば頃には新聞や本を読むときに眼鏡が必須となった。だが運転免許の更新には〈眼鏡等〉の条件が付かなかった。その頃、未だ遠くは何とか見えたからだ。本当は遠目も僅かずつ利かなくなっていたが、年齢を重ねても眼鏡などしないで日々眼を訓練していけば筋トレと同じで見える状態を維持できるはずだと考えていたのだった。

 しかしのちにその考えは大きな間違いだと思い知らされることになる。
退職して数年の頃、ある日の朝、頭が異常に重く目を開けると天井が右から左へ流れ始めた。まさか…静かに目を閉じ、しばらくして目を開けると今度は何処を見ても視野がぐるぐる回っている。乗り物酔いが極端に酷くなったようで吐き気さえ覚えた。和樹は人生で初めてのとんでもない経験に困り果て目を瞑ったまましばらく動かずにいた。
 そしていつの間にか眠っていた。次に目覚めた時は頭の奥にだるさが残っていたが視野が回転することはなかった。妻は症状を聞いて、それは耳鼻科で診てもらった方がいいと勧めたが昼になり夕刻になる頃には殆ど症状が無くなったのだった。そのあと和樹は普段通りに過ごした。

 しかし一週間ほど後になって、また天井が回った。この時は以前ほどではなかったが和樹は真面目に受け止めた。これは放っておいても治らないかも知れない。
 その日耳鼻科を受診した。知り合いが「それはメニエール病だよ」と言ったので、はっきりさせたいと思った。
耳鼻科では検査機器を使った。そして医師は「和樹さんはメニエールではありません」と診断したあと、数種の錠剤を処方してくれた。
 薬を飲んでいると症状が収まったが、それを聞いて知り合いが『メニエールでないというのは尚のこと心配』『脳の異常とか…』と言った。妻もその通りというので脳外科へ足を運んだ。脳外科では看護師さんがやって来る患者に口癖のように「肩が凝っていませんか」と尋ねている。

 長く待ったあと和樹は診察室へ入った。医師は受診のいきさつを聞くとMRIによる画像診断を看護師さんに指示した。首から上のMRIというので瞬きをしてもいけないのかと緊張したが、そんなことはなく簡単だった。そして再度診察室へ入ると医師は画像を見ながら「脳には全然異常はありません」と言った。以前後ろ頭を強打したことがあったのだが、それを聞いても「そういうことも含めて全く異常はありません」と断言した。
 脳に異常がないというのはとても安心できたが、ではなぜ視野が回るのだろう。新たに不安を覚えてしまった。そこで薬が切れるまで待てず耳鼻科へ足を運んだ。
 脳外科を受診したいきさつなどありのまま医師に伝えると「脳が大丈夫でも隠れ脳梗塞が増えると…」と言ったあと看護師さんに指示をして前回よりも詳しい検査をしてくれた。そのあと「やはり少し揺れが出ていますね」と…。
 目眩の症状が改善するまで人によると半年ほどもかかる場合があると言い、その間服薬を続けるというのだ。和樹は取り敢えず二ケ月分の処方をして貰った。

 そのあと数日して、ふと思い出したことがあった。それは脳外科を受診したとき看護師さんがしきりに「肩凝りはありませんか?」と尋ねていたことである。思い返すとここ半年ほどは肩や首が酷く凝るのが日常的になっている。だがそれほどに何かを頑張っているとは思えない。

 和樹は妻に誘われてハイキングや軽い登山に出掛けることがよくある。遠方の場合は早朝の日が昇る前にクルマを運転する。そんな暗い道路では前が見え辛いので遠近のメガネを使うのが常である。
 その日の朝、暗い道で運転をしている時、ふと思いついた。自分は日常的にメガネをしないで過ごしている。眼の筋トレだと考えている。ひょっとするとそれが日常的に高い緊張になっているのかも知れない。
 或いは違うかもと思いつつメガネショップへ足を向けた。近年では昔のようにメガネが高価ではなくなっている。廉くもないが驚くほど高価でもない。和樹はクルマの運転や日常使いの眼鏡を注文依頼した。

 数日後出来上がり、いつも眼鏡を使うようになると和樹の世界が一変した。これ程クッキリと世界が変わるとは想像しなかった。思えば若い頃はこんなクッキリした世界が日常だったのだ。感動的だった。これまではクルマを運転中もテレビの画面も妻の顔も眼の筋トレ状態だったのだ。
 そしてそんな感動的な視野にも慣れ、それが日常になる頃、目眩に襲われることを忘れてしまっていた。

 和樹が〈ある事件〉に遭遇したのは、眼鏡が日常になる以前、眼の筋トレを程なく終えようとする頃だった。
その年は町内会の組当番が巡って来た。組のお宅が十軒あるので十年ぶりの当番だ。一月からの当番で二月に一年分の町内会費と交通災害共済の掛け金を集め三月の初めに町内の集会所へ持参して納めた。

 和樹は指定された日の朝一番に金を納めた。その日、妻と酒田市へ吊り雛を見学に出掛けようとしていたからだ。だが集会所で金を納める際、摩訶不思議なことが起こったのだ。
 和樹は十軒のお宅から集めた金を幾度も数え、繰り返し金額を確認して包んだあとセロテープで封をしたものを持参した。
  だがそれを町内役員の担当者が紙の箱の中でテープを剥がし金額を確認すると「千六百円足りません」と言ったのだった。また隣の担当者も交通災害共済掛け金を箱に空けると「四百円足りません」と言った。和樹は二人の担当者の前に置かれたそれぞれの箱を凝視した。だが目の前の箱の中は〈眼の筋トレ中〉でぼんやりとしか見えていなかったのである。

 あれ程何度も確認して包んだものを手渡したにも拘らず二人の担当者が、ともに「足りません」と言った。大きな部屋に町内役員がずらりと並んでいて、その場には和樹だけである。皆の視線が集中しているのを感じながら狐につままれたように目の前に広げられた紙幣や硬貨を見つめていると、じれったそうに「足りないんですよ」と言いつのった。
 和樹は次第に頭の中が白くなって二千円を財布から出した。ストーブが幾台かあったが三月初めの寒い朝、凍り付くような気持ちでその集会所を出た。腋の下が冷たい汗でじっとりした。

 クルマに戻って妻に話すと、エ~ッと口走ったあと「お金きちんと確かめたの?」と応えたのでムッとした。私は痴呆が始まったのだろうか。痴呆が始まると、これ程記憶がすっかり抜け落ちるのだろうか。
 和樹はクルマを北へ走らせながら昨日までの世界から次元の違った世界に踏み込んでしまったように思えた。目の前に見える景色は何度も走ったことのある光景だが実は次元の違う世界なのだろうか。
 妻は和樹のうつろな目を心配し「二千円くらい構わないじゃないの。それよりそんな目で運転して事故になったら大変だよ」と言った。もはや二千円に拘ってはいない。それより自分の記憶の一部がすっぽり抜けたことを思わないではいられないのだった。その日、明るい日差しの中で眼鏡なしでハンドルを握っていた。

 和樹は見慣れた風景が次々と後ろへ飛んでゆく高速道路を走りながら、あの時持参した金を空けた箱の中がぼやけていて良く見えなかったことを思い返した。しかし担当の役員二人が、共に「お金が足りません」と言った。片方の人だけがそう言ったのなら間違いということもあるだろうけれど…。あの人たちが受け取る際に間違っていた可能性はほぼゼロだ。やはり和樹の記憶が抜け落ちたと思わないではいられない。集めた金に封をする前に何かの都合で一時的に拝借し、あとで返しておくのを忘れたのか。しかし何のために拝借したのかという記憶も消えていた。

 酒田市は何度も訪れた街である。妻の言葉もあり、もはやいくら考えてもどうにもならず、その日のドライブを楽しもうと自分に言い聞かせた。酒田市までは大まかに二時間で到着する。距離的には近くないが高速道路が断続的に整備されていて、しかも全通していないので一部無料開放されている。
 妻が観たいという吊るし雛の展示会場は酒田市内の旧料亭で国の有形登録文化財になっていた。和樹はその趣のある和風建築を祈るように眺めた。
 展示会場では吊るし雛を中心にさまざまな雛人形が趣向を凝らし展示され胸の片隅に生まれた痴呆への不安感が幾分癒された。会場では緋色がそこかしこに満ちていた。その艶やかな会場の窓から春特有の薄青い空が雲間から覗いている。遠くに目をやると、また理不尽な思いが頭をもたげた。

 …万一自分に認知症が兆したとしても集金したお金を包む前に千六百円や四百円という半端な額をちょいと拝借するだろうか。しかも二個の包みそれぞれから。そして拝借したまま戻すことなく包んでしまうだろうか。更にその合計二千円を何に使ったのかという記憶まですっかり消え失せるだろうか。相当に認知症状が進んでいるなら、そういうこともあろうが自分にそれ程痴呆が進んでいるとはどうしても考えられない。分からない。

 突然異次元の世界に踏み込んだのだろうか。妻は「あなたが忘れているんじゃなくても何か理由がある筈なんだから、もう気にしないで折角のお出かけを楽しみましょうよ」という。妻は昔から嫌なことを忘れるのが得意である。だが二千円を忘れるのは簡単だが、金の額とは比較にならないものが和樹の胸に深く突き刺さっていた。
 或いはと和樹は考える。もし集金した町内会費を手渡したあと箱の中の硬貨や札がはっきり確認できていれば金額が足りなくても胸に湧き上がる闇は生じなかったかも知れない。だが〈眼の筋トレ状態〉だったため机に置かれた箱の中はぼんやりとしか見えていなかった。


 山野にとってその日はいつになく面倒な日だった。町内会の役員を引き受けているが積極的に受けたのではなかった。役員の一人が高齢を理由に辞めることになったので是非にと乞われ、断り難かったのである。リタイヤしてからの身には自由な時間があり、少しは社会に貢献できるという満足感も期待できそうだった。

 毎年一月に新しい町内の各当番が替わり、三月の初めに町内会費と交通災害共済金をそれぞれの当番が持参することになっている。
 その日は集会所に役員全員が馬蹄型に並び当番が会費と共済金を持参するのを待っていた。春の青空が広がり気持ちの良い日になった。まだ風が冷たいが、これなら当番の人たちも来訪しやすいに違いない。
 朝九時からの受付予定だが十五分前にはすっかり受け入れ準備が整った。役員が勢ぞろいして、その日集金作業が終わった後の懇親会の事々を確認していると、未だ受付には十分ほど早かったが会費を届けに来た組当番が部屋の戸を開けた。

 その年配の男は役員の前に下げてある町名前を探していたが直ぐに山野の前にやって来ると膝立ちして二個の袋を差し出した。どちらもセロテープで止めてあった。町内会費は自分が開いて箱に空け、交通災害共済は隣の担当役員に渡した。
 ところが箱の中の金額を確認したところ、なんと大幅に足りなかった。山野のほうは千六百円も足りず隣の担当者のほうは四百円足りなかった。その組当番は名簿で確認すると○○和樹という名だった。如何にも融通が利かなさそうで几帳面にも見えた。山野が「千六百円足りません」というと如何にも怪訝そうに箱の中を凝視している。そして隣の担当者からも四百円足りないと告げられると、さらに困惑した様子で同じように箱の中をじっと見つめて、まるで魂が抜けたように顔が固まってしまった。山野は急かすつもりはなかったが「千六百円足りないんですよ」ともう一度口にした。
 ○○和樹というその男は不安そうな不服そうな表情のままスラックスの後ろポケットから財布を出し千円札を二枚抜いて小声で「じゃぁ、これ」と言った。動作の鈍い人間だった。

 受付時間が過ぎてしばらくすると次々と当番の人たちが訪れた。銘々が町名を探して集金した金を置いて帰って行った。昼前になると殆どの当番が会費を届け終わったようでやって来る組当番もまばらになってきた。
 山野たち役員も集まった会費を数え直しにかかっていた。みんなが金を入れて持参した袋を念のために逆さにしたりして確かめていると空だと思った袋から一枚の札と硬貨が落ちてきたのである。隣の担当者の方でも同じ袋から硬貨が四枚落ちてきた。その袋は最初に受け付けた○○和樹という男が持参した袋だと直ぐに分かった。他の組当番は殆ど役員があらかじめ当番に配布しておいた〈寄付金袋〉という印判を押した袋を使っていたからだ。あの男は親書に使う茶封筒に金を入れてきた。

 それにしても面倒なことになった。山野はあれ程の口調で「千六百円足りません」と、隣の担当者も自信たっぷりに「四百円足りません」と断言して二千円を財布から出させたのだ。返しに行くにも体裁が悪い。
 山野は集金作業が終わった後のお疲れ会で他の役員にその話をすると、その役員は気持ち良く酔った口調で「俺たちは人がやりたがるとは限らない役員の仕事を献身的にやって地域社会に貢献しているんだ。間違いもある。しょうがないよ。明日にでも返しに行けばいいよ」と応えてくれた。山野も少し体裁が良くないがそれしかないと考えた。

 明くる日は前日と同じように春特有の透明度の浅い青空が広がっていた。昨日の気疲れのする仕事のあと気儘に過ごしたいのだが、その前に嫌な仕事を片付けなければならない。○○和樹宅を訪問して二千円を返すのだ。あの男は怒り出すかも知れない。そんなやり取りを思うと気が重かった。それにしても金をあけた箱を一緒に見ていたのだから、もっと強く「足りない筈がないっ」とでも言ってくれれば、こんな羽目にならずに済んだのに恨めしいことではあった。

 和樹がその朝起き出してカーテンを開くと前日と同じ春の空が広がっていた。昨日の酒田の吊り雛の美しい緋色が思い出された。酒田では傘福と呼ばれているとも知った。吊り雛を堪能したあと空の青さに誘われ海岸近くの日和山公園を歩いた。三月の風が冷たかった。空の青さにも風の冷たさにも重い胸のしこりが痛んだ。妻の明るい振る舞いが救いではあったが、恨めしくもあった。
 これまで理不尽なことには我慢できなかった。だが齢を重ねた今では自身の来し方を思い起こし数多のネガティブな記憶を認めざるを得ない。それらは皆そっとしておきたいものである。そんな自分であれば例え痴呆のような記憶の空白が生じても拘泥しなければいいのかも知れない。だがそうして懸命に自分に納得させようとすることこそ、それができないという残念な証左なのだ。

 そしてまた思う。本当に注意深く集金した金から一時拝借するだろうか。財布が空だったわけではないのに。そしてその金を何に使ったのか、その記憶が無いなどということがあるだろうか。しかし二人の担当者が共に「お金が足りません」と言ったのだ。どちらか一人だけがそう言ったのなら間違いということもあるが。
 和樹はぐるぐると考えあぐねた末、やはり自分の記憶がすっぽり抜け落ちたと考えるほかなかった。集金の会場で金の入った袋を二人が受け取り、それぞれが足りないと告げたのだ。あの人たちの間違いという可能性は一パーセントもないだろう。

 その日、朝九時過ぎにチャイムが鳴った。もう十年来ともに暮らしている我が家の猫は和樹に似て小心者で、チャイムが鳴ると大急ぎで姿を消してしまう。その時も脱力してグデッと寛いでいたがピンポーンで跳ね起き、物陰に身を潜めた。インターホンで妻が応えると「町内会の山野です」という。まさか。和樹は出なかった。妻の応対がはっきり聞こえないまま、どうやら二千円を返しにやって来たらしいと分かった。妻は少しも憤ることなく終始穏やかに応対している。

 妻の話では、和樹が集会所を出たあとに持参した袋にお金が残っていたというのだ。もっとよく見ればよかったのだが…お金を入れる袋を使ってくれれば不手際が無かったのだが。それに旦那さんもお金を出すところを目の前で見ていたので間違いなく足りないと思ったというのだ。
 金を入れる袋は和樹にも配られていたが、それには「寄付金」と記されていた。町内会費と交通災害共済にそれを当然に流用すべきとは解せない。金に関してもそういう曖昧さが当たり前とされるのは非常におかしい。ただ和樹が目の前で見ていたのに、その場で「足りない」ことの異議を口にしなかったという誤解は残念だった。なにしろ目の前はぼんやりしか見えていなかったのだ。
 いつまでも不愉快そうな和樹を妻はあきれ顔で、諭すように「お金を持ってきてくれたのだし、お父さんが痴呆じゃなかったんだから、いつまでもそんなに難しい顔してなくてもいいじゃない!」と声を掛けた。

 山野は二千円を返して安堵した。金を納めに来た旦那でなく奥さんが応対した。よく見ればよかったのだが集金袋でなかったので…と話すと、少しも咎めることなく自分が話題をふった町内の世間話に付き合ってくれた。旦那が玄関へ出てきたならもっと気まずい雰囲気だったに違いない。それに袋から金をあけたとき紙幣だけでなく硬貨が複数残っていたのは確かに不注意だったが、そんな話を旦那が聞き咎めてひと悶着あったとも限らない。
 旦那と直接話をしなかったのできっぱり済んだという感じがないが仕方がない。或いは対峙して咎めるなどできない気の弱い人間なのかも知れない。

 いずれにしても集金作業はこれで終了だ。二千円は返したのだし誰にも失敗の経験はある。年若いわけじゃなし、理解してくれるに違いない。
 山野はフロントガラスから差す明るい春の光に温い頬が弛んでくるのを感じた。

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