61 料理はおもいやり 

ていいちOTP

 近年、テレビの番組に料理をテーマにしたものが増えてきました。コメンテーターを務めるタレントや俳優が料理を前にして如何にも美味しそうに料理を口に運びます。そしてそのあと感に堪えないといった表情を見せる割にはありきたりな感想を述べるので少し滑稽ですが、それもご愛嬌でまぁ目くじらを立てることもないと納得して番組を楽しんでいます。

 それにしても我が国は食料自給率がカロリーベースで40%を切っているのですが平和で輸入に支障が出さえしなければ難しいことを考えなくても料理番組を楽しんでいる余裕があります。
 しかし現在のように庶民でもお金さえ出せば殆ど何でも手に入るという環境は終戦の半年前に出生した私のような者にとっては異次元の世界といっても過言ではありません。断片的に記憶が残る幼児の頃は思えば近現代史的に日本が最も貧しい時代だったといえます。

 ところで健康志向から、もう四半世紀も昔から贅沢な食事は健康に良くなく粗食こそが本来人間の体が持つ生きる力を呼び覚ますのだという考え方があります。贅沢でなくともバランスのとれた食事こそ健康になれるとか、美味いものばかり食べているとコレステロールが増加して早死にするのだとか言われます。確かに食べ過ぎは健康に良くないようですが貧しかった子供の頃を知っている者には“粗食”が健康的というイメージは訝しいものです。

 また食事に対する考え方が違っている場合もあります。子供のころ、美味しいものを食べるのは特別な場合でした。食べる目的は空腹を満たすことが第一義でした。栄養を摂取することは概念的に理解していても具体的な食卓で配慮する人は少数だったと思います。子供の頃、我が家では更にもう一つの食事に対するスタンスがありました。それは“食べ物は『食べてしまえば、それでお終い』”というものでした。私自身は思春期の扱い難い存在になるまではネコの如くかわいがられ、特別にパンを買ってもらったりしたのですが、基本的には“食べてしまえばお終い”なものにはできるだけコストをかけない主義だったようです。

 現在ではあまり見られませんが子供の頃は町の食堂で素うどんを注文し、それをおかず代わりにして持参した大きなアルミ弁当箱に詰められたご飯を食べるという光景が珍しくありませんでした。道路工事の重労働に携わっている労働者の人たちがそんな昼食を食べていました。食事などにお金をかけずとも、とりあえず今日明日を元気に暮らすことができるというわけです。

 私たちの世代は我が国が最も貧しかった時代に物心ついたので貧しく物がないことを寂しいとか惨めとは感じていませんでした。それが普段のことだったからです。しかし少しずつ戦後復興が進み自分も思春期に近づいてくる頃、他所の家庭とどこか違っていると感じるようになりました。社会が少しずつ豊かになってきて自分の行動半径も中学生までとは比較にならない広がりを持つようになると、我が家の食事スタンスがいつまでも以前のままであることが変だと思うようになったのです。我が家では“食べてしまえばお終い”な調理に時間とお金をかけようとはしませんでした。そのことを変だと感じるようになったのです。

 学生時代は学生アパートに暮らしていました。時折電車を乗り継いで1時間ほどの実家に帰ることがありました。ある日の夕刻、家に帰るといつになくご馳走が並びました。その日、兄も家に帰っていたのです。私は空腹にまかせて勢いよく食べ始めました。すると普段にもまして眉根の皺を深くして「またおかず食べする!」と怒ったものでした。

 『おかず食べ』というセリフを久しぶりに聞きました。『おかず食べ』というのは“おかず”とご飯の比率のことです。空腹を満たすのにご飯を食べずに“おかず”だけを食べるのは勿体ないわけです。味のないご飯を食べ易くするために“おかず”と一緒に食べるというのです。
 その日は兄弟の中で一番いい子だと公言している兄がいたので調理に興味がないなりに料理を並べたのです。そこへ突然いい子でない私が帰ってきました。それにも拘らず『おかず食べ』をしたので二重に勿体ないと思ったに違いありません。高校時代、裸電球を背に恐ろしい形相で「お前は大きらいや」と言われたことを思い出します。

 一応豊かな今の時代、食べ物も戦後の時代とは比較になりませんが家庭料理をはじめとしたプライベートな料理は、見た目や味が良くてもそうでなくても食べる人に対しての思い遣りや“もてなし”の心がこもっているかどうかがその価値を決めるのです。食べる人を想って並べられる料理は例え食材が意のままに揃えられなくとも味付けがピタリと決まらなくても立派な食卓になります。それには高級とされる有名店の料理であっても超えることができない温かさがあります。

 以前、珍しくも滑稽なニュースがありました。ある男が他所の仕事場に忍び込み弁当箱を盗んでは中身を食べて戻しておいたという事件です。幾度も繰り返すうちに犯人が捕えられたのですが彼の言い分には笑ってしまいました。
 その中年の男は「弁当屋で買うものは心がこもっていない」と言ったというのです。まさか弁当を作った人は犯人のことを想って心を込めたわけじゃないでしょうに。しかし犯人のこの言葉には料理の本質が語られています。

 このニュースを読み上げた後、アナウンサーはこう付け加えていました。「…弁当店の店主によれば、『当店では常に心を込めて弁当を作っております』とのことでした」 これには笑いを堪えることができませんでした。


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