52 オーケストラ

ていいちOTP

 近年自分の心の世界が明瞭でないと思うことが多くなりました。例えば遠くを見ようとすると霞がかかったようにクッキリせず見通せないという思いです。その理由はといえば、これまたぼんやりしているのです。
 机の前に座ると目の前にキーボードがあります。その先に7年近く使っているディスプレーです。習い性になってPCのスイッチを押します。ディスプレーに壁紙が現れます。
 壁紙は無地の濃紺、中央に7個のショートカット、右端にInternet ExplorerとLive Mailのショートカット、右上にゴミ箱があります。そして左下に花や風景の画像、右に3人目の家族であるミミというトラ猫の画像を配しています。こうして文字で書くとごちゃごちゃしているようですが非常にスッキリしています。地色が無地で私の好きな寒色系というのがちょっと引き締まるのです。

 ところがディスプレーが現れたあと、やることが決まっています。まずメールをチェック、次にネットを開きます。ネットはいつもながらの〈Yahoo Japan〉です。プロバイダーはYahooではありませんが長く同じものに設定していると他の検索ページでは落ち着かず、ついYahooに戻してしまいます。しかし最近トップページにも変化が乏しく思えるようになってきました。

 もう12年ほども以前、インターネットに繋がった当座は居ながらにして一挙に世界の窓が開いたように思えました。にも拘らず最近は一体どうしたことでしょう。
 しかし数日前ふと音楽を聴きたくなり、ウォークマンに気に入ったイヤホンを繋ぎました。薄暗い部屋でベートーベンの9番を聴きました。実は幾つか入っていたうちの1曲がたまたま9番だったのです。
 眼を閉じて音を追うにつれて目の前の世界がぐんぐん驚くほど広くなりました。明るくはなく色もない筈の空間に、音で彩られたオーロラのような豪華な波が頭の中で360度の広がりをもって縦横無尽に流れ交わりました。もう何年ぶりでしょう、しばらくそんな激しく心地よい流れに脳髄を任せることができたのでした。

 ウォークマンもXBA-30というイヤホンも手に入れてから1年近くになります。それなのに今までこれほどの感動を覚えることがありませんでした。高校時代、一心に音を追ってベートーベンを聴いているとき、しびれるような感動が背中から脳天に向けてゾクッと冷たく走ったことがありますが、大人になり年を経てからはそんな経験がありませんでした。今頃になってなぜこれほど音楽に胸を打たれたのか不思議でした。

 昔と比べると現在は音楽が身近になりました。その気になればいつでも音楽を聴くことができます。家の中には音楽を聴くための機器が幾つもあります。クルマを買えば新車に付いてくるスピーカーを取り外し、性能の良いものに交換しました。カーオーディオを性能の良い機器に交換することもできます。高校生の頃とは音源も機器も比較できないほど良いものになっているのです。それなのに滅多に感動できなかったのです。
 音楽を聴いて感動するかどうかはその環境に大きく左右されるのではないでしょうか。テレビや室内オーディオの音を家事をしながら聴くスタイル、イヤホンを耳にしながらネットの情報を探し閲覧するスタイル、そういった“ながら聴き”がどうこうという問題ではないのですが、もしあと僅かだけ意識を集めて音を追えば、もっと深く感動でき、それ故更に真剣に音を追わないではいられなくなると思うのです。ですからクルマのオーディオやスピーカーなど如何に弄ってみたとしても道路を走るクルマの中という環境で、しかも運転を疎かにできないわけですから最悪の“ながら聴き”でしかありえません。
 そうではなく、奏でられる音の世界をじっと追っていると“ながら聴き”では聞こえなかった世界が聴こえてきます。尤も聴く能力の違いもありますから断定はできません。

 音楽が好きになったのはおそらく映画をたくさん観たからです。高校生の頃ジャンルを問わず映画をたくさん観ました。洋画の3本立てを2度ずつ観ることもありました。三流館の3本立てだと午前中に映画館へ入っても出てくると夕刻です。大抵の洋画では美しい音楽が多用されていて、その経験からクラシック系の音楽が身近だったのです。
 若い頃は頻繁に“ステレオ”でレコードを聴いて楽しんだりもしていたのですが、あるときテレビで演奏会の中継映像を見て意外な思いをした覚えがあります。オーケストラが具体的な本物の音源として迫ってきたからです。
 それまで音楽は“音で色づけられた”巨大で繊細な流れが目の前で描きだす広大無辺の世界だったのです。音楽をそんな世界だと感じていましたのでオーケストラはどれほどの楽器編成であっても余りにも小さく、にも拘らず『本物はこれだ!』と胸の奥に突き付けられたのでした。

 そういえば初めてクラシック音楽を聴いたのは中学2年でした。中学校の隣にあった短期大学の大きな体育館で催された大学生の室内楽演奏会へ引率されたのです。音楽の何たるかなど考えもしませんでしたが、心地よい別世界でした。後日学校で演奏会への参加費を徴収された際、クラスの誰かが「…高っ」と口にしました。その時、引率した先生は自信たっぷりに大きな声で
 「高いことないっ!廉過ぎるっ!」といいました。それを素直に納得できたのを覚えています。
 そのあと映画をたくさん観た高校時代を経て音楽が楽器から奏でられるものだという当然過ぎることを意識の外に置いたままにしてきたのでした。

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