51 高齢者

ていいちOTP

 昨日(2014/07/22)の新聞コラムに私が日頃感じていることが書かれているのを見つけました。正確ではありませんが以下のようなことです。
「最近では年齢を重ねても元気な人が多く、老齢者もその年代に差し掛かっている人も65歳なら未だ高齢者の自覚はないと感じている。街で人々に訊いても高齢者は『70歳かな?』という反応が多かった」
 すると後期高齢者も80歳くらいが適当なのでしょうか。もっとも80歳になった時そのとおりに自覚できるかどうかは分かりません。未だ10年あまり先のことです。ただ69歳になった私に〈高齢者〉という自覚が足りないのは気持ちが切り替えられずにいるだけかもしれません。

 リタイヤして年金生活に入る前は職場での分掌が移ったり、形だけでも○○主任とかにされたりして自分の立場が変わるので年代毎にそれを自覚させられます。しかしリタイヤしたあと何もしなければ社会的な立場は命が消えるまで変化しません。それを好まない人は第2の人生として新しい仕事を探すことになるのでしょうか。

 老人になるというイメージは概ねマイナスのものと思われています。何といっても年を重ねるにつれて体力が衰えます。体力の衰えといっても若い人たちにはかなり抽象的なイメージでしょうけれど具体的に数多くあります。
 代表的なことの一つは目が見え難くなることです。老眼が進むわけです。近くが見難くなり新聞などを目から離して見るようになります。年を経るごとに遠くへ離すようになり、それでも駄目になると老眼鏡のお世話になるのです。
 何故なら新聞などを目から遠くへ離すとクッキリする代わりに文字が小さくしか見えません。ところが老眼鏡を通してみると驚くほどよく見えるのです。初めて老眼鏡を使ったとき、余りにもクッキリした風景に仰天したものです。今では3種類の老眼鏡を使い分けています。眼鏡を使うのは面倒が伴いますが言い換えれば眼鏡を使えば不自由がなくなるわけです。
 それから動作が遅くなることも判りやすい老人の特徴です。しかし私は少年時代から動作が遅かったので、これは一番自覚し辛いことです。現役の頃は仕事を素早くできないので早めに取り掛かるように心がけていました。その為、皆さんから“仕事が速い”と評されていました。本当は真逆なのです。

 こう考えてくると老境に入ったからといって決定的に暮らしに困ることはあまりないように聞こえるかもしれませんが実は若い人には想像し難い辛さもあります。初めてそれを自覚したときはショックを受けました。
 その一つは、何かしようとする際に持続力が落ちたことです。意志的にも体力的にも耐久力が衰えました。『そんなこと自分で口にしてるんじゃねぇ!根性がないだけじゃねぇか!』って思う人がいるかも知れません。しかし根性というのは相対的な概念です。根性は数字で表現できません。

 次に思いつくのは疲れ易くなることです。昔と同じことをしようとすると、思ったよりも疲れます。若い頃なら一気に済ますことができた作業も途中で休憩をとりたくなるのです。休憩なしだと失敗することがあります。
 ただ時間が十分にある身ですから実害はありません。それよりも困ることは集中力が落ちたことです。若い頃にはあり得ないと思えるミスがあるのです。それが年々多くなっていきます。これはちょっとした戦慄です。

 昨年、ユーザー車検の準備をしている時のことです。後輪のドラムを外し、内部清掃を終え、ドラムを元に戻して確認のためドラムを揺ってみると、なんとドラムが抵抗なく抜け出してきました。ハブボルトで締めるのを忘れていたのです。いつも作業のあと確認しているので大事には至りませんでしたが衝撃的なミスでした。

 もう一つあります。実はこれが一番厳粛な事実です。病気になった時、治癒して元に戻るのに時間がかかるようになったことです。たとえば小さなことでは〈肩凝り〉なども治るのに数ヶ月もかかります。
 現在使っている東プレ製のキーボードを買ったばかりの頃、嬉しさのあまりタッチタイピングの腕が衰えないようにと長時間トレーニングをしました。それ以来肩凝りが持病のようになりました。その経験から、もっと大きな病気なら回復までに絶望的な時間が必要になると覚悟しました。

 しかしそれでも若い頃に戻りたいとは思いません。今の自由を手放したくありません。贅沢をしなければなんとか暮らしてゆけるからです。
 何をやってもいい、何をやらなくてもいい、何もしなくても日々を過ごしていられるのはこの上なく嬉しいことです。もちろん制約はあるのですが不思議に自分の立ち位置から外へ踏み出そうとは考えません。一見不甲斐ないスタンスなのですが、もはや不甲斐なくても構わない年代なのです。

 近年、犯罪行為に走る不良老人のニュースを頻繁に目にするようになりました。昔は“お爺さん”は人当たりの良い“好々爺”のイメージがありました。しかし現在は様子が違うようです。考えてみれば社会には優しい人もそれほどでない人も悪人に近い人もいます。そういう人々がみんな老人になるのですから困った老人もいて当然です。
 おそらく以前は老人になるにつれて精神的にも肉体的にも衰えが激しくなり悪事を働く意欲も体力も萎んでしまったのでしょう。或は、昔は報道されなかっただけかもしれません。

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