ていいちOTP

4_チョウキシゾウのちハイキ
  息子が家庭を持つことになりました。息子はもう三十代の半ばを過ぎています。私達はお嫁さんには縁がないのかも知れないと半ば諦観していました。夏の日に入籍が終ったと連絡を受けたとき大いに喜び安堵しました。街が秋の装いに変わり新しい住まいに落ち着いた頃、息子の新居がある横浜へ出掛けました。都会のマンションなので広くはなく家具を置けば自由なスペースは少ないのですが新生活のために設えられた調度が温かな雰囲気を醸していました。

 息子は若い頃から映画が好きです。映画館で観たあと気に入った作品をビデオで保存していました。ここ数年のものはDVDです。広くないダイニングの棚にビデオとDVDがぎっしり並んでいます。妻が
「こんな沢山なんとかしたらいいのにねぇ」と云いますと
「これだけじゃないんです。奥にもいっぱいあるんですぅ」と遠慮がちに呟いたのでした。
 きけば息子はモノを捨てたくない性格、お嫁さんは整理したい性質だそうです。あぁ我が家と同じ諍いの種にならなければいいのだが。私は思わず不安を覚えてしまいました。息子の性格はきっと妻譲りです。
 私はモノをできるだけ整理したい性質です。整理というのは捨てることを意味します。妻はなんでもとっておきたい性質です。この相反する行動パターンが人の性格になってしまうと住環境の物理的な条件を超えてしまいますので厄介です。妻は私が異常だといいます。腹立たしい。庶民の住宅事情ではモノを整理することは必須です。

 整理好きと保存好きは子供の頃の環境に左右されるに違いありません。郊外にある妻の実家には広い生活空間の他にかつて農作業に必要であった大きな立派な建物があります。其処で各種の機械や道具を保存したり作業をしたりしたのです。その広さは都会の庶民的マンションの7・8倍もありそうです。その他に蔵まであります。
 私は関西の街中の家で育ちました。妻の実家とは比べ物になりません。関西の実家では空き部屋はモノで埋まっていて廊下まで使わなくなったものがぎっしり置かれていました。廊下は肩幅の余裕も残らないほどでした。母親が亡くなり実家に兄夫婦が移り住んだとき兄は
「ほかす(捨てる)もんがトラック二台分あったわ」と云ったものでした。使われず保存されているものは単なる場所塞ぎと化していたのです。

 どうして不必要なものが増えるのでしょう。妻に云わせると衣料品には流行があると言います。ファッション無視で実用ばかりだと夢がなくなるというのも否定はできませんが、ファッションは需要喚起の妙薬として業界が仕掛けたものではないのでしょうか。それでも流行の品を身に着けて幸せになれるなら、まぁいいかと思います。しかしその場合でも流行遅れとなったものが整理されず保存することが理解できません。整理できないなら未だ価値を認めているのだから代替品は必要ありません。しかし妻は
「そんなに単純に割り切れるものじゃないわよ…これはみんな私たちが生きてきた証じゃないの」と云いました。
 これには参りました。〈生きてきた証〉とは私たちが家庭を持って以来の証しだということなのです。センチメンタルな疼きを感じてしまいました。しかし気を取り直して考えます。懐かしい思い出がある品なら、厳選したものだけを残し他は写真に撮ったり一部だけを切り取ってコレクションしたりすれば足りるのでは……?

 書籍類についても同じです。我が家には蔵書と云えるものは殆どなく本棚には文庫型や新書版などの本と手塚治虫さんの漫画本などが並んでいるだけです。読みたい本があると市や県の図書館で探すことが殆どです。
 日常的に利用する書籍でなければ社会で拠点管理されている図書館を利用するのが合理的です。各家庭で同じ書籍を殆ど死蔵状態にしておくよりも皆が図書館を利用した方が合理的です。(でも書籍出版に携わる人たちとしてはちょっと困るでしょうか?)

 奈良に学生時代からの友人がいました。勉強が好きな人で若い頃から万葉集に興味を持っていました。最後には大学の先生になりましたが彼の書斎はさながら図書館のようでした。彼のような学者は常に資料を手元に置いておく必要がありますから自然に蔵書が増えるのが道理です。しかし私のような普通人には利用しない蔵書は必要がありません。
 絵画や美術品も財産として持つなら数が増えても仕方がありませんが、鑑賞が目的なら数多くの貴重な作品を拠点管理している美術館や史料館を利用するほうがずっと楽しめます。世界のトップレベルの作品に出会えるだけでなく美術館や史料館へ出掛けると日々の生活空間から離れて非日常の雰囲気を楽しむこともできるのですから。

 一旦モノを捨てれば取り返しはつかないので、捨てる決断とは将来的に責任をとることでもあります。一方保存する場合の責任はとても軽いのです。〈取り敢えず保存〉するのは決断を先延ばしにするやり方といえます。そして無秩序に保存されたモノは利用されない場合が多いのです。なぜなら何が何処に保存されているか憶えていないからです。そうやって保存されたモノは殆ど何年も、ときには何十年も密かに存在し続けます。
 引っ越しなどの際、大量にゴミが発生するのは、その殆ど全部が無意味な場所塞ぎでしかなかったことを証明しています。『長期死蔵のち廃棄』です。
 
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