48 命は世界の窓

ていいちOTP

 先日(2014/05/24)尖閣諸島北部の空域で自衛隊機と中国戦闘機が異常接近する事態が発生しました。日本が設定した防空識別圏と最近中国が設定したそれとが重なる空域でのことで、その北部で中露の合同演習が行われていました。自衛隊機は中露の演習を監視するために飛行していたといいます。高速で飛行する戦闘機などが50mとか30mまで接近したというのですから接触事故にでもなれば国際間の重大事になるところでした。

 日本は中国側へ厳重抗議し、中国側は日本が識別圏へ侵入したと主張しているとのことです。最近少しずつ日本にとって都合の悪い環境が醸成されつつあります。中国はロシアと接近し始め、現在の情勢では北方領土の返還など雲をつかむような話です。

 現在の憂慮すべき日中関係を招くトリガーとなったのは都知事だった石原慎太郎氏です。石原氏は戦後一貫して極端な右寄りのイデオロギーに傾倒しているようです。彼が尖閣諸島を東京都のものにしようとしたことを契機として、当時の野田政権が国有化しました。つまり石原慎太郎氏の勇ましくも粗野な行動が日中関係悪化のトリガーになったのは間違いなく、石原氏の勇み足で我が国の有形無形の国益が大きく損なわれる事態を招きました。

 中国は尖閣諸島の国有化に対して強く反発しました。日本政府の想定を超える中国の反応だったと思います。しかし素人が考えても地方自治体が地権者から購入するのと政府が国有化に踏み切るのとでは、国有化の方が中国へのインパクトが強いのは当然です。どうして尖閣諸島を実効支配している現状を踏まえて、石原氏の極端な企図を止められなかったのも不思議です。

 日本人は仲間内では白黒を曖昧にして事を荒立てない国民性があります。それが人間関係を良きものに保つ極意のように考えています。ところが国際的な立場では殆ど真逆になるようです。国家同士では究極的には文化よりも経済力と軍事力が交渉の後ろ盾になるのですから、『和をもって…』などと優雅なことを言っていられないのです。
 そんな分かり易く勇ましい思いを安倍首相が次々に実行しようとしています。折角自衛隊があるのだから集団的自衛権を行使できるようにして国際的なモヤモヤした問題にスッキリ対処すればいいというのがタカ派色濃厚な安倍首相の考えでしょう。どの国も集団的自衛権を持っている。憲法に抵触する?それなら解釈を変えて合憲ということにすればいい…そう考えているのです。

 自衛隊という名称でも実態は(志願兵ばかりの)軍隊です。タカ派の人は必要な時に軍隊を使える仕組みは当然必要だと主張します。しかし戦争をすれば戦死者が出ます。自衛隊員になれば戦死するというなら自衛隊員になろうとする人は激減するでしょう。すぐに徴兵制が検討されることになります。しかしタカ派的には、国民には自国を守るために『兵役の義務』があって当然だという考えでしょう。

 素朴ですが疑問の余地がない真実があります。それは世界の“認識”についてです。この世界は人々の数だけ存在しています。物理的には世界は一つなのですが、同じ世界を見詰めている人はそれぞれ『自分の世界』の中で暮らしています。命がなくなると同時に日本という国も地球規模の世界も銀河も、文字通り『無』になるのです。この世界に残された者たちの幸せを祈りながら命絶える人も、その命が消えればその人にとって『無』しかありません。昔誰かが言った言葉を思い出します。『人の命は地球よりも重い』です。この世界は命を通してしか存在しないのです。これは自分の命以外は無関心、無責任というスタンスとは全く別のものです。

 国際問題では軍事力でなく外交努力で対処して欲しいものです。まだ日本にだって優秀な外務官僚がいる筈です。彼らは豊かで平和な時代に生まれ育った人たちですが、なんとかハングリーに“日本の為に”外交努力で能力を発揮して欲しいのです。外交努力によって国益を図ってもらいたいと思うのです。
 ただ国の利益といっても短期的なスパンで考えるのか長期的な利益を目指すのかという違いがあります。そしてとかく短期的に判断すると危険な方に向かうというのが歴史的事実です。

 自国の立場や思想と相容れない場合に、精神的な苦しさを一挙に解決したくなり勇ましい振る舞いに走れば、それは戦争になります。軍事力が相手より勝っていると認識できれば尚のこと“勇ましい振る舞い”は戦争になります。国家間では、『外交努力を続けるか勇ましく戦争をするか』という二者択一なら、見方を変えて『屈辱を忍ぶか宣戦布告か』なら…、やはり戦争を選択するのは賢明じゃないでしょう。

 国際的な平和とはどんなものなのでしょう。個人的にはのんびりした屈託のない人生なら間違いなく平和だといえますが、国際的にはむしろ〈モヤモヤしたものが胸から消えず、相手に心の内を正直に見せることなく駆け引きばかりで、いつもスッキリと心が晴れることがない。そんな不安定な有りようであっても決して戦争へ一歩踏み出さない〉…それこそが〈平和〉の本当の姿なのかも知れません。

 それにしても歴史を振り返るといつも何処かで戦争をしています。『命』は世界の窓なのに、殺し合いをして世界を良くすることなどできる筈がありません。
 随分昔、『中学生が柔道や空手を習い始めると自分の力を試したくなって、誰かと“喧嘩ごっこ”をしてみたくなるものだ』というのを聞いたことがありますが、まさかそんな子供じみた軍の指導者がいる国家が無いよう祈りたいものです。

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