47 パワハラ警察官

ていいちOTP

  いじめと言えば学校でのいじめが思い浮かびますが、昨日(2014,4,20)のニュースを見て驚きました。それは警視庁蒲田署の地域課の巡査長の拳銃自殺です。44歳だったというこの警察官は上司である52歳の警部補にいじめを受け、それを苦にして拳銃自殺をしたのです。遺書には上司の警部補を名指ししてあったといいます。上司であった警察官は52歳とのこと。この上司は自殺した警察官の他にも数人に対して同じいじめを繰り返していたと報じられています。

 私たちの世代は戦前のおぞましい警察の在り方が革命的に変革され、民主警察になったと“教えられて”きました。物心ついたのが戦後数年を経た時代でしたので、その昔の日本の警察の有り様など分かりませんでした。そんな幼児の頃の刷り込みを信じ続けた訳では勿論ありませんが、それでも警察官同士でいじめがあるという事実に違和感を持ってしまいます。

 そして更に違和感を持ったのが上司の警察官がいじめた理由です。『前年の検挙実績が少ないことを理由に叱責。2月中旬、巡査長らに「今後の身の振り方を考えろ。家族に相談しろ」と厳しく叱り付けた』というのです。地域課員が職務質問で検挙実績が少ないことに腹を立て、辞職をしろとまで強く示唆するとは部外者には信じられません。

 素朴過ぎるかもしれませんが、警察、消防、それに自衛隊という仕事は『いざ』という非常時に備えて社会が保持している組織です。だから常日頃から危急時に備えて訓練をする必要はあるでしょうが、対処すべき危急の場面は少ないほど良い筈です。つまり警察、消防、自衛隊は“実戦的”な活躍の場面が少ないほど善良な市民にとっては暮らし易い社会だと言えます。

 ところが警察官は『検挙実績』が多いことが名誉なことなのです。それは警察官個人の待遇にも影響するに違いありません。更に部下を持つ者は部下の検挙実績が少ないと不名誉となり有形無形の待遇が左右されるという訳でしょう。警察官にとって『検挙』は“実戦的”な活躍の場面になるのですが…。
 部下の人権を無視した件のパワハラ警部補は、“平和な日常”の中から事件を見つけ出し“危急時”を掘り起す数が少ないことを理由に巡査長が自殺をするまでに追い込んだのです。52歳にもなって卑劣で歪んだ男だと思わないでいられません。

 しかし考えてみれば、このパワハラ警部補はいじめた部下が署内で、しかも装備品の拳銃で自殺したので大きく報道され、目立つことになりましたが、こうした事件があってもなくても警察官にとって検挙実績が積まれることを良しとしていることは変わりありません。警察官にとって世の中が平和であっても検挙実績を積むことができなければ『勤務成績』が悪いという訳です。

 このように警察官のモチベーションと検挙実績をリンクさせている為に、あの悪名高い交通課のネズミ取りもなくなりません。ネズミ取りでは、何の危険もない箇所で、僅かに速度超過している車両を停止させ検挙実績を増やしています。街中などに在る本当に危険な箇所では善良な市民は速度を上げないので検挙実績を増やすのに効率が悪いのです。そのため道路が広く運転者が危険を感じない箇所でネズミ取りが行われます。異議を口にする者にはあれこれ言い逃れますが、ネズミ取りに従事している警察官も、検挙実績のために効率の良い場所で楽な仕事をしていることを自覚している筈です。
 あの仕事ほど合理性を欠いたものはありません。ネズミ取りは決して交通事故防止が目的ではありません。だから善良な市民を敵に回す結果になっているのです。ネズミ取りを目の敵にする物言いですが、あの取り締まりを妥当だと思う人は限りなくゼロに近いと思います。

 それにしても件の警部補は自殺した警察官のほか数人の部下に対して『「1年間見てきたがお前らは駄目だ。身の振り方を考えて家族に相談しろ」などと辞職を強要するような発言を繰り返したり、昨年春ごろ〜12月にも、他の部下数人に暴言を吐いたりジュースのパックを投げつけたりした』(ネットのニュース記事からコピペ)とされています。他人のことを言える身ではないのですが、いい年をして信じられないバカな大人です。

 警察官は善良な市民の幸せを実現する一助とする目的で合法的な“力”を与えられています。“力”の実態は詰まるところ暴力と同じものですが市民の幸せを脅かす暴力に対抗するために法で定められているのです。そんな警察の内部でいじめがあるとは心許ない限りです。このうえは警察官が職務遂行に必要な“力”を善良な市民に対して濫用しないことを切に望むばかりです。


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