43 エポックとケーキ

ていいちOTP

  ここ数年正月前に積雪を見ることが多かったのですが、今冬は負担になるほど積もらないまま年を越えそうです。あと1日で2014年になります。
 数日前まで新しい年がやって来るという実感がありませんでしたが、一昨日頃からお正月を迎える雰囲気が漂ってきました。大型店では仕事納めのあとの人出で混雑しています。誰もが正月の準備に懸命です。正月は日本人にとっての最大のお目出度いエポックなのです。店内を物色する人たちの目の色がいつもと違っています。買い物客が多いからか商品を選ぶ意気込みが違っています。目が殺気立っています。穏やかで楽しいお正月を迎えるための準備をするのに人々が殺気立っているというのは皮肉でもあります。

 我が家には小さな子供がいないので飾り付けなどについても簡素ですが、それなりに正月を迎えるという雰囲気が醸し出されています。このような温かい正月の雰囲気を楽しめるようになったのは結婚して家庭を持ってからのことで、それまではむしろ正月その他のエポックに対して斜に構えていました。結婚して自分が少しヘソのまがった性格だと自覚したのでした。へそ曲がりだったので季節ごとの行事を形式的と考えて距離を置いてしまうところがありました。

 そういう態度が顕著だったのは学生時代です。4年生の年、大晦日の遅くまでガソリンスタンドでアルバイトをしていました。小さなトラックで灯油を配達すると、その家の窓から温かい雰囲気が想像できました。でも不思議に寂しくありませんでした。それよりも自分が少数派でいることが少し得意でもありました。バイトをしない年でも大晦日に敢えて学内の勉強室に残ることがありました。夕刻の闇が深くなる頃、独りでぼんやりと周囲の家々の温かい色の光を見ていると、自分だけはいつもと変わらず冷静だと感じてむしろ少し得意でもありました。明確な理由もなく世間の空気に酔うことに抵抗していました。思えばかなり危ない若者でした。

 皆が温かい雰囲気を楽しんでいるときに独りでいる状況を殆ど寂しいと感じなかったのは幼児の頃から人生のエポックを寿ぐ経験がなかったからに違いありません。兄が正月に友人宅から帰ってきて口にした言葉を覚えています。
「よその家はどこ行ってもお正月らしく華やかやのに、うちは火が消えたみたいや」母は兄の言葉を聞いて少し照れくさそうに
「そうかぁ、それぁ私がちゃんとせぇへんからかもしれんわ」と応じたが、その後も我が家の正月が変わることはありませんでした。そんなわけで、独りでエポックを過ごすことに慣れていたのです。

 そんな我が家でも、東京オリンピック(昭和39年)が近付く頃には多少なりとも正月を寿ぐ雰囲気が演出されていましたが、私が世間から一歩距離を置くスタンスは直らなかった。

 妻は人生のエポックを大切にする人でした。お正月飾りと鏡餅、クリスマスの飾りつけ、十五夜には月見団子の飾りつけ、ひな祭りには忘れず飾りを出します。そして彼岸になれば実家の墓参を忘れません。そのように妻が時期ごとのエポックを装ってくれるので、それぞれの雰囲気を楽しむことができます。
 私は少し離れたところから熱くならずに観察しているところがありますが、それでも妻が飾り付けてくれると胸の奥が心地良く温まります。ただ、妻と暮らし始めて42年にもなりますが未だに自分でエポックに気付くことが殆どなく任せっきりです。

 私がそんな妻を真剣に怒らせたことがありました。もう30年以上昔、お正月も七日が過ぎようとしていた日の就寝前、喉の渇きを覚えました。そして目の前にあった鏡餅の上のミカンをとり、皮を剥いてしまったのでした。妻の声は驚きで甲高く

「あなた、そのおミカンを食べたの!神さまなのに!」私は妻の驚きを理解できませんでした。
「ミカンぐらい、また別のを載せればいいじゃないか」そう答えると、呆れ果てたような顔で更に怒り、次第に悲しそうな表情になりました。私は世間的には野生児だったのです。

 年間に数々のエポックがありますが大きなものはお正月とクリスマスです。クリスマスの時期になると決まって『ケーキ』を思い出します。それは親戚の家で食べたクリスマスケーキです。まだ小学生のころでした。その家にはとても立派なケーキがあり、まるで夢の世界のお菓子のように美味しかったのです。
 しかし大人になって子供ができ、クリスマスケーキを買ってきても、あの頃の味はしなかったのです。どう考えても違うケーキです。クリスマスの度に「どうしてだろう…」と不思議に思っていました。大人になって味の感じ方が変わってきた可能性もありますが、どうもそれだけではなさそうでした。
 最近になってネットで調べてみて理由が分かりました。クリームが違うのです。もう何十年もの間クリームと言えば生クリームになっています。でも1950年代はバタークリームだったのです。
 小学生の時、食べたケーキはクリームにもケーキにも“口応え”がありました。“舌応え”といってもよい感覚です。あのケーキには食べ応えがあったのです。それに比べると現在のケーキはクリームが口の中であっという間に消え去ります。その上ケーキも極度にふんわりしていて歯応えといわないまでも口応えがなく、食べたという実感が希薄になります。食べた記憶が長く残らないのです。

 ところが今年は期せずしてあの懐かしい味のケーキを食べることができました。いつも妻と買い物に立ち寄る食料品マーケットで売られていた大手製パン会社の製品でした。家へ帰って箱を開けると比較的小ぶりで一段ものです。切り分けて一口食べてみて驚きました。まさに懐かしい味わいのクリームでした。60年近くも昔の記憶が蘇りました。ケーキの台は柑橘系ジャムが2層にサンドされていて“舌応え”があり、感動的な美味しさです。あまりの美味しさに驚いて箱の表示を見るとクリームにはバターが12%混入されていると記されていました。なるほどと納得しました。やはりバタークリームでした。

 過去には大手パン会社を悪くいう噂を耳にしたこともありますが、そんな噂よりも自分の舌を頼りにしたいのです。美味しいかどうかを決めるのは自分の他にはいないのです。

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