37 フランダースの犬

ていいちOTP

  県立近代美術館で、2013/06/29から08/11までルーベンスの企画展が開催されています。ルーベンスの名は日本ではとても有名です。しかし名前はよく知られていても、いつの時代のどんな作品を残した人なのかを詳しく知っている人は少ないと思います。(私もです)ルーベンスという画家の名は1975年にテレビ放送された〈フランダースの犬〉というアニメ作品に登場するまでは特に絵画を趣味にする人以外にはあまり知られていませんでした。

 アニメは貧しい少年ネロとパトラッシュと名付けられた犬の健気な姿をみて身につまされるストーリーです。ネロとパトラッシュが最後に生きる望みを失ってノートルダム大聖堂の祭壇画の前で命を終わります。その祭壇画はネロが一目でいいから観たいと望んでいたルーベンスの宗教画です。観るためにはお金を出さなければならないのですがクリスマスのその夜、偶然に開いていたのでした。作品中でネロは幾度もルーベンスの絵について憧れの言葉を口にしています。あのネロの言葉が視聴者の心深くに入り込んだのです。

 〈フランダースの犬〉の原作者はイギリス人のウィーダ(ペンネーム)で原作は1872年に出版されています。検索すると菊池寛はじめ片手に余る翻訳本が日本で出版されています。子供向けの作品で、国内外で実写映画作品も制作されているらしいのです。
 〈フランダースの犬〉がアニメになってから大勢の日本人が舞台となったベルギーのアントワープ市を訪れるようになります。もちろんノートルダム大聖堂の祭壇画も見学しました。ところが現地のアントワープ市では〈フランダースの犬〉の物語を知っている人が見当たらなかったというのです。可哀そうなネロとパトラッシュの感動的な物語は、舞台となったフランドル地方では知られていなかったのです。アントワープでそうですからベルギーの他の町でも同様だったでしょう。更に原作者の国であるイギリスでも殆んど知られていないといいます。

 主人公ネロはパトラッシュといつも一緒で、真面目に優しく正直に精一杯日々を過ごしています。しかし運命は次々と裏目に出て最後は絶望的な状況となり食べるものもなくなり偶然開いていたノートルダム大聖堂の祭壇画の前でパトラッシュとともに死を迎えます。
 当時は労役のために犬を使っていたというのですが、ネロはパトラッシュを労役犬としてだけでなく心を通わせる家族のようにして過ごしていました。
 原作者であるイギリス人のウィーダはヨーロッパ旅行の途中でフランデル地方を訪れました。日本では明治5年頃のことです。その時の印象を基にして〈フランダースの犬〉を創作したのです。
 物語の中ではフランデル地方を好意的には描写しませんでした。或いは犬を労役に使っていることを虐待だと感じたのかもしれません。それが現在3ヵ国に分かれているフランデル地方の人たちが興味を示さなかった理由かも知れません。また真面目で優しく正直に…というだけで生活した結果、悲惨な死を迎えるストーリーはヨーロッパの人たちには受け入れがたく、主人公の少年へ感情移入どころか15歳にもなった男が“負け犬として死ぬ”話に過ぎないという感想を持ったといいます。

 作者ウィーダの母国イギリスでも“負け犬”ストーリーはアングロサクソンの気風には合わず、作品は忘れ去られてしまいました。なお物語が描かれた時代は子供が死ぬことは珍しくなく当時としてはネロがことさら悲惨な環境だとは言えないという考えもあります。(ネロは原作では15歳、アニメではネロは10歳という設定です)

 しかし日本では幾度も翻訳本が出版され子供向けの童話や絵本として非常に有名な“お話”になりました。日本人には真面目で優しく正直な子供というだけでも好感が持たれます。加えて“これでもか”というほど可哀そうな場面設定が繰り返され、観ているものとしては主人公への同情を禁じ得ません。アニメの中では主人公のネロはいつも純粋で怒りの表情を見せず、ほのかな笑みさえ浮かべています。観る人々は殆んど無条件に感情移入できます。更に犬が好きな人ならパトラッシュが最後にネロを追って雪の降る街を空腹のままふらついて歩く姿にも涙するに違いありません。 

 このように考えると日本とヨーロッパ・イギリスの世界観の違いもありますが、欧州人と比べると日本人のほうが優しいのでしょうか。そんなことを小学校のころ教えられた記憶があります。曰く、農耕民族は狩猟民族と違って穏やかだ…、北欧の人たちは昔バイキングに象徴されるように他の国を荒らしまわっていた…。
 しかしそれは正しくないと思います。調べてみると原作を子供向け絵本にする際に日本人受けするように変更されていて、更にアニメにする際にはネロとアロアの年齢を原作よりも幼く設定しています。ネロの人間性も原作では普通の思春期の少年としての強い自己主張や若者らしく画家になる野心をアロアに話して聞かせる場面があるらしいのです。ネロは原作では日本のアニメのように真面目で優しく正直だけの子供だったわけではないようです。 

 またどうしても考慮しなければならないのはアニメーションの魅力です。いうまでもなくアニメは漫画が動物(アニマル)のように動く作品です。漫画ですから実写映画のようにイメージを固定されません。そのため同じ“ネロ”や“パトラッシュ”“アロア”を見ても観る人の心にはそれぞれの映像が記憶されるのです。登場人物が観る人それぞれが描く理想的な姿になります。理想の少年ネロ、この上なく愛らしい犬パトラッシュ、優しく愛しさに溢れるアロアになります。おじいさんとネロが暮らしている粗末な家もアニメでは実写のようにイメージが固定されず大まかに描かれるので細部は観た人が感じたまま記憶に留まります。
 こうして〈フランダースの犬〉は観る人それぞれの世界で主人公ネロに感情移入することで『可哀そうなものがたり』を楽しめるのです。

 近代美術館でルーベンス展を見たあと出口近くで解説ビデオを流していました。ビデオではルーベンスの解説に挟むようにして実写で〈フランダースの犬〉を断片的に描いていました。しかしそれはアニメーションの作品とは全く別ものでした。実写では何の夢も抱く余地がありませんでした。妻の感想も同じでした。おそらく殆どの人が同じ反応になると思います。他方アニメ作品は日本人だけでなく誰にでも夢を見させるかもしれません。

 アントワープ市でも近年まで〈フランダースの犬〉は知られていませんでしたが、観光に携わる市の職員の青年が日本人観光客から情報を得たことをきっかけに、物語の舞台になっていると推定されるホーボーケンという場所に観光用の水車を作るよう尽力しました。
 彼は苦労して原作本を探し当て日本のアニメを観て市当局へ熱心に働きかけたのでした。その目的で何度も日本へ足を運んでいるうちに日本人の女性と知り合い結婚しました。しかし幸せは続かず、なんと青年は妻を殺害したという容疑で裁かれ現在服役中だということです。事件の原因は日本人妻が浮気をした挙句、それでも妻の気持ちを繋ぎとめたいと努力している彼の人間性を、職場の他の男と比較しながらことごとく罵倒したからでした。この驚愕の事実に同じ日本人として残念で恥ずかしい気持ちになります。


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