ていいちOTP

35 鮮やかな世界
  最近この世界にカラー映像が見えるようになりました。日常のカラー映像が突然鮮やかになったということかもしれません。
 今は昔の物語ですが子供の頃は映画は“もちろん”モノクロ映像でした。当時はモノクロとは言わず“白黒”と言っていました。もっともそんな呼称は映画についてなにか強調して話すときに使ったのであり、映画というのはモノクロが普通のことでした。小学生の高学年の頃、カラー映画が珍しくなくなりました。しかしモノクロ映画もたくさんあり、当時カラー映画のポスターには『総天然色…』と表現されていました。

 ところがモノクロの映画を見ていても色が分からないかといえば、そんなことはありません。その映像を思い出せば日常の暮らしと同じように“カラー映像”に替っていたのです。もちろん映画のワンシーンの○○の色は何色だったかと問われても“正確に”答えることはできませんが大体は想い出すことができました。
 しかし特にモノクロの効果を狙った作品は別にして、現在のようにカラー映画が普通になれば断片的に昔のモノクロ映画のワンカットを思い出しても色は感じないかもしれません。またモノクロの映画を観ると眼が慣れるまでカラーでないことが意識されます。それでもストーリーが進行するにつれてモノクロであることを忘れカラー映像と同じように楽しむことができるのです。

 ちょうどそれと逆の現象が日常生活にあります。ごく普通にあります。私たちの意識に上らないだけです。全色盲の人でなければ、日常生活はカラーの世界です。カラー映画が珍しかったころのように“総天然色”の世界なのです。しかしそれを意識して日々を過ごしているでしょうか。殆んどの人々は眼に映る色など“あたりまえ”過ぎて意識に上りません。意識していないので、特に印象的だったこと以外、記憶を辿ってもモノクロのようになっているのではないでしょうか。

 先日妻に誘われて群馬県へのツアーに参加しました。地元密着型のローカルな旅行社の企画でした。このツアーに富弘美術館の見学が組み込まれていました。富弘美術館へは13年前(2000/05)にも訪れています。星野富弘さんの〈詩画〉を初めて見たのは新潟県柏崎市の〈ソフィアセンター〉を訪れた時でした。
 星野富弘さんは中学校の教師になってまだ2ケ月と半ばというとき、器械体操の模範を生徒に披露していて落下、頸髄損傷で首から下を動かすことができなくなりました。そして想像もできない絶望と苦闘の末、口に筆を咥えて花の絵を描き、それに心の内を吐露した短文を添え、素晴らしい作品をたくさん制作されています。
 短文を読むと富弘さんの日常を支えているものは主に信仰であり、それゆえ宗教色が濃いものが多いですが、それでも信仰から遠い私のような者でも、富弘さんの事故後の苦悩を思えば深く琴線に響く作品がたくさんあります。

 今回も富弘さんの作品を前にして、口で描いたとは信じられないような美しい花の絵に驚き、添えられた文章やエッセイを幾度となく読み返さないわけにはいきませんでした。その中に概ね次のような文章を見つけました。
 「…何のために生きているのだろう。死んでしまいたいと思ったが自分で死ぬこともできない。食事を食べなければ死ねるかと思って実行したが、ついには我慢できなくなって食べてしまった。その時の食事の美味しかったことといったら…。その時悟った。『いのち』は自分の自由にはできないものなのだ…」
 『いのちは自分の自由にはできないもの』という一節が心の底にゴトッと音をたてて落ちました。生まれる時も、死ぬ時も、さらにいつどんな事が起こるかということも…自分の自由にはできない…。そう素直に思えたのです。それは信仰めいたものではなく、むしろ極めて科学的に『そのとおりなのだ』と思えたのです。そして不思議なことに、その事実が極めて厳粛であるため信仰に近い雰囲気を感じたりもしたのでした。

 その後、思い出すたびに世界が少しだけ変わるようになりました。眼に映る世界が色鮮やかに美しくなったのです。慣れ切っていた現実の世界がカラー映像になりました。現実の世界は上下左右に360度広がっていて空間を移動するたびに変化してゆきますから映像とは比較にならないほどダイナミックです。また日常の『音』も同じように鮮やかに変化するのが意識できたのです。

 日々の『カラー映像』や『立体音響』は“目からうろこ”の素晴らしい世界です。「かっこうつけてるんじゃねぇぞっ!」という声も聞こえそうですが格好つけているのではありません。映像や音響が冴える頻度は未だ小さいままなのです。
 ただ私のような凡人でも折に触れて思い起こせば世界が少し美しく変わる珠玉の言葉を持てたことは、とても幸運だったと思うのです。

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35 鮮やかな世界
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