34 床屋さん

ていいちOTP

  ここ数年床屋さんの料金にも価格破壊が進んでいます。市街地にオープンしたPという理髪店は全国チェーン店で髪を刈る方法を効率化して従来の店と同じサービスを提供し、一部をオプションにしています。Pでは従来の理髪店の値段の三分の一程度です。それからほどなくしてさらに低料金の、これもチェーン店らしき理髪店がオープンしました。この店では年齢を区切ってシニア料金を低く設定していました。

 そのあと、理髪店のコンセプトを打ち破るような別のチェーン店が出現し、地域の皆をおどろかせました。この店は大きな衣料品店やシューズショップの間にでき、如何にもこじんまりして見えました。この店は他とは違う、思い切った店舗運営をしています。まず料金が一律1000円です。次に、提供するサービスは髪をカットするだけ、顔剃りや洗髪をしません。そのため流し台もありません。お客さんが座る椅子も簡単なもので床に固定されていません。それが数台だけあります。お客さんの入りはよいようです。

 理髪店に顧客が求めるのは本来髪を刈ってもらうことです。顔剃りや洗髪はどうしても店でやってもらわなくてもよいことです。理髪店で髪のセットまで望むのは、仕事途中で大切な顧客と商談する必要があるなど、限られた人たちなのです。近年はリタイヤした年金生活者が増えていて、こんな理髪店のニーズはかなり高いのです。

 しかし従来のスタイルで営業している理髪店にとっては、この店の出現は驚天動地の事態と感じたに違いありません。そこで従来の理容店の組合〈県理容生活衛生同業組合〉は「1000円ショップに顧客用の流し台が設置されていないのは衛生面で問題があるので、改善すべきである」と県の担当部署へ問題提起したのです。

 従来の理髪店の立場を思えば経営者の戸惑いは十分に理解できます。でも1000円ショップの立場では同業組合の問題提起は関西弁でいう〈イチャモン〉そのものです。同業組合は圧力団体でもありますから対応した知事は「何とか善処したい…」のような発言をしていたのをテレビで見た記憶があります。
 理髪店に流しがあってもなくても衛生面で大きな問題が生じるとは思えません。重大な細菌感染などなら店に流しがあるなしに関わらず危険であり、そうでなければ全然問題ないでしょう。
 だから私はもっぱら1000円ショップを利用しています。髪を刈ってもらったあと、家で風呂に入り洗髪をすれば何も問題がありません。髭剃りなど朝の洗顔前にするので床屋さんで済ます必要がありません。

 最近はどの業種でも営業形態がさまざまですが、それに伴ってスタッフはマニュアル化された“お仕事”をしています。平均的なお客が楽しめるようなお仕事のスタイルです。それでお客はおおむね気持ちよく過ごすことができます。
 ところが我が贔屓の理容店では少し様子が違っています。
 この店ではチェーン店の方針なのか、ひと月あまりして出向くたびにスタッフが交代しています。そして同じ髪型を伝えるのですが担当者によって仕上がりが違ってきます。そうはいっても美容室や理容室ではどこでも幾分は担当者によって仕上がりが違ってきますので1000円理容店だけのことではないかもしれません。もうこの年齢ですから、どちらかというと外見に拘りませんので、むしろ「今日はどんな仕上がりになるのだろう…」と仕上がりを待つ余裕もあります。

 先日如何にも春らしい暖かな陽気の午後、その店へ出かけました。水曜日でした。ポイント2倍の火曜日のあとです。珍しくスタッフは女性2人です。1人は普通の若い人、もう1人は“いま風”の20代前半?の人です。
 年配者が“いま風”というときは概ねネガティヴなニュアンスを込めています。彼女は眉を薄くしていてあまり健康的な印象ではありませんでした。それも“いま風”と感じた理由の一つです。
 ところが仕上がりのイメージを伝えたあと調髪が始まると、すぐにその理容師さんの印象が誤解だと理解できました。金髪っぽい色の肩より長い髪を束ねもしないで仕事をしているのですが、とても丁寧に髪を切ってくれます。途中で「こんな風でいいですか」と尋ねてもくれました。

 この1000円理容室では洗髪をしない代わりに掃除機のアタッチメントのようなものを付けたバキュームで頭全体を撫でるようにして大まかに頭をきれいにするのですが、その作業も今までにない丁寧なやり方で驚きました。 じつは今回は毎回押されるスタンプが満たされて無料だったのですが、そんな客にもいつもと同じように手抜きしないで心を込めて仕事をしてくれました。
 この店では毎回スタッフが替るので少し当たり外れがあるのですが、その日はとても良い人に当たったのです。

 それにしてもどうして最初の印象と仕事ぶりが大きく違ったのでしょうか。私に人を見る目がないといえばそのとおりですが、それを敢えて脇において考えてみました。きっとあの仕事ぶりは“人柄”をもあらわしています。
 6年前(2007年)に〈人は見た目が9割〉という本が出版されたこともありますが、あの理容師さんの場合はまったく逆です。

 私が小・中学生の頃、大人たちはよく「最近は価値観が多様化しているので…」と話していました。もちろんそのことをネガティブに表現していたのです。敗戦後十数年を経た時代で、ふって湧いたような民主主義のおかげで戦争中のほぼ単一の価値観から人々が解放されたに違いありません。
 そうした『自由』をポシティブにとらえる人々とネガティブにとらえ憂える人々がいたのでしょう。あの時代はいずれにしても一定の価値観が幾つも市民権を持ち始め、それらにかなり大勢の人々が依拠していたと想像できます。

 しかし現在では価値観の数は爆発的に増加して当時と比較になりません。もはや価値観というよりも個人の〈信条〉と言い換えてもよいほどです。そして価値観と深い関連のある“人の装い”も周囲の真似が好きという傾向があるにしても、それを是とするか非とするかは個人的な感性のみで選択されているようです。これが年配者が若い人たちについていけないと感じる理由です。しかしこれだけでは私が“いま風”な感じの若い女性の人間性を誤解した理由にはなりません。

 現在は個人の〈信条〉ほどある価値観と個人の〈装い〉との関連がきわめて希薄になっているのです。言い換えれば〈信条〉と〈装い〉の組み合わせも“なんでもあり”の社会になりました。それが“いま風”な若い女性の人間性を誤解した原因に違いありません。

 現在はきちんとした身なりを信用すると詐欺に遭う可能性すらあるので、昔の記憶に基づいてステレオタイプになっている者には暮らしにくい面倒な社会ともいえますが、こうした世の中はおそらくデモクラシーが成熟した結果です。そして“現在のような”成熟した社会を是とするか非とするかも個人の感性に依拠するのです。

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