28 接 客

ていいちOTP

 先日テレビで奇妙な番組をオンエアしていました。内容に違和感を持ったからです。暫くはその理由が分からりませんでしたがすぐに合点しました。
 その番組は全国展開している有名なファストフード店のスタッフの接客などを競わせる社内競技会がテーマでした。最優秀者には賞を与えて表彰もしていました。
 テレビで放映しているのですから店内にテレビクルーも入っています。都会での立地を考えているのか或いは作業効率のためなのか店内は非常に狭いのです。基本的な調理は店とは別の工場で済ませているので広くなくてもよく、土地の値段の高い都会ではそれが合理的なのかも知れません。
 そんな狭い店内で目にも留まらないような手際で客に提供する“食事”を整えているのは実に驚異的と思えました。また人がすれ違うのもぎりぎりという狭い通路にテレビクルーがいるのに撮影されているからか少しも嫌な表情を見せないのでした。
 なんとこの競技は実際に営業している店舗で実際の営業活動を利用して行われているのです。

 出来上がったファストフードを手際よく流れるような動作で客に手渡すフロントの若い女性は終始笑顔を絶やしません。番組では接客の前に鏡に自分の顔を映して笑顔を確認しているフロント係りの女性を撮影していました。
 その女性は指で目尻を上げ下げして自分の表情を確認しています。そのファストフードチェーンでは作業の効率化に関して確固としたマニュアルがあるのでしょう。そして厳密にそのマニュアルに従うことで確実に利益を上げることができ、客にリーズナブルな値段で商品を提供できるに違いありません。フロント係の女性が終始笑顔を絶やさず、それも自然な笑顔で接客することがマニュアル化されているかどうか分りませんが、笑顔も確実に利益を大きくすることができるでしょう。

 しかし私には別の思いがあります。おそらく大勢の人が同じように感じていても、そんなことを考えたりしないで“食事”を受け取っている限り良い雰囲気で腹を満たすことができます。でも少しだけ店員の気持ちに寄り添えば仕事の厳しさを容易に想像できるでしょう。
 熟練とはいえあの手際のよい仕事や接客の絶え間ない“自然な”笑顔…。特に笑顔は営業用の重大事ですから感情を理性で殺し続けなければいけません。私はあの絶え間ない笑顔を見ていると可哀そうになり痛々しく感じてしまうのです。

 数年前、ツアー旅行で山陽地方を観光したことがあります。ある立派な神社を見学しました。ガイドをしてくれたのは若い女性でした。一生懸命に神社の来歴などを説明してくれました。私はその説明を聞いて少し疑問に感じたことがあったので説明が終わって場所へ移動している時、傍へ行ってさらに詳しい内容を尋ねたのです。
 そのガイドさんは少し戸惑った様子を見せたが少し詳しく説明してくれました。しかし私は納得せず更に突っ込んで尋ねたのです。すると彼女は表情を硬くして
 「そんな細かいことは社務所へ行って聞いて下さい。私はただマニュアル通りにお話ししているだけなんです」と応じたのでした。私は一瞬彼女の顔を見つめました。その表情には戸惑いと怒りと悲しさが一緒になって感じられました。反省しました。ガイドさんの態度を無理のないことだと思いました。
 勿論ガイドたるもの見学者の質問にはできる限り答えるべきであり、それができないのは勉強不足だともいえる。しかしどんな職業人でもベストではあり得なません。誰にでもベストを求める風潮は生きづらい社会を作り、ついには自分たちの首を絞めると思うのです。「…私はこの辺りまで…」という生き方は居直りとも取れますが、或いは生活に余裕を生み出し、いざという時に破滅的な切れ方をしないで済むかも知れません。

 我が儘な顧客が「あなた方はそれが仕事でしょ?」というのは相手に無理難題を吹っ掛けるときです。その種の顧客は決して相手の気持ちを慮ることがありません。あのガイドの女性は専業ではなかったのかも知れません。
 ファストフード店のフロント係のように営業用の笑顔のトレーニングなどしていないのかも知れません。
 私はガイドの女性に堅い表情で抗議をするように言葉を返されて一瞬戸惑いを覚えましたが嫌な気分は殆どありませんでした。“鍛えられた笑顔”で接客する店員と比べればむしろ爽快でさえありました。ガイドを担当した人が自分の子供よりも若い女性だったということもありますが人間らしい親しみさえ覚えたのでした。

 以前ラジオで社会主義国が自由主義(資本主義)の国へ変ったことをテーマとした番組を聞いたことがあります。自由主義国へ変ったあと買い物をする人たちにインタビューして
「自由主義になって何が一番変わりましたか?」と尋ねると「店の従業員が『ありがとうございました』というようになった」と答えたそうです。社会主義の体制では店員は『ものを売ってやる』というスタンスで仕事をしていたのでしょう。

 自由主義になって“競争”が芽生えると商店としては『買って貰いたい』ということになり、お客さんに『ありがとうございました』という言葉を掛けるようになったのでしょう。なお店員が笑顔だったかどうかについて説明はなかったように思います。これは社会主義では、心のあり様が原色のままでも通用した現象で興味深いことだと思います。
 このように顧客の前でほんの少しも装わないというのは味気なく逆の意味で余裕がないと思います。顧客は、心のあり様にほんの少しだけ装った店員の表情を自然な笑顔に感じられるものです。それ以上だと痛々しくて辛いのです。

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