27 健 康 診 断

ていいちOTP

 先日、平成24年度の市の検診を受けました。妻と一緒に律儀に秋ごとに受けています。今年は10月の3日に“生涯学習センター”で済ませました。体調はとてもよく、結果については何も心配していませんでした。酒を止めていたので肝臓の数値もきっとよくなっているだろうと期待しました。
 看護師さんとの面談で「お酒をどのくらいお飲みになりますか」と訊かれましたので「やめて38日になります」と答えました。中年の看護師さんは「何かあったんですか」と訊きましたので「酒を飲まなくても十分幸せなんだ、と心に念じることにしたのです」と答えると「頑張っているのですねぇ」と言った。私は「いや、全然頑張っていません。毎日遊んでばかりですよ」といいました。この一連のやり取りを少し恥ずかしいと思い返しつつも38日もまったく酒を飲まずにいることを得意にも思ったのでした。

 それまでは休肝日を作るのに決心が必要でした。幾度も酒をやめようと決心しては再び飲み始めるというのを繰り返していました。
 過日(H24年8月26日)新潟で五木ひろしが出演するコンサートの招待券が妻に届きました。妻を送っていき、コンサートが終わるまで読書をして待つことにしました。しかし2時間余りのあいだ読書にも飽きて、広い駐車場の脇道を歩いてみました。
 日が沈んだあと最近建設されたビルが明るく輝いています。すぐ目の前に明るく輝いているのが市民病院だと気付きました。数年前にこの場所に移ったのです。円柱状の大きなビルが2本、堂々としています。私は昔を思い出しました。

 31歳の時、市民病院で鼻中隔湾曲症の手術を受けたのでした。鼻の軟骨にメスを入れるとき、麻酔をしていても飛び上がるように痛みました。新発田病院では大手術を経験しました。馬蹄腎が原因で尿管が詰まり、長年の尿圧で腎臓の組織が委縮し殆ど無くなっていました。水風船のようになった左腎は外的な衝撃で破裂する可能性があるというので摘出手術を受けたのです。

 昔を思い出すと現在の自分が一病息災ではありますが元気で過ごせることを思いました。まだ夏の暑さが残り気持ちの悪い生暖かい空気の中でしたが、私は「酒を飲まなくても、十分幸せなのだ」と思い至り、その夜から酒を口にしていないのでした。

 市の検診の結果は約1ヶ月後に自宅に郵送されます。妻が「悪いところがある場合は1ヶ月といわず早く結果が来るんだよ」といつも言っています。この年はちょうど1ヶ月前後あとに郵送されてきました。
 意外にも肝臓の数値は期待したほど良くなく、更に眼底の項で『出血、要精査』になっていました。とても驚きました。前回までは『異常ありません』が続いていました。
 眼底は脳の“出先機関”で直接体の血管の様子を見ることができる場所だという知識がありました。それが『出血』だというのです。一瞬何かの間違いだろうと思いました。検診の38日前から酒を飲んでいません。いつも大幅に過剰だった中性脂肪値も範囲内に収まっています。その他2・3の標準をはみ出した項目もありますがごく僅かな幅で、いつも掛り付け医に全然問題ないと判断されていました。もちろん目が見え難くなったという自覚もありませんでした。

 自覚症状がないので、『大したことないだろう。来年になれば“異常なし”になるかも…』と考えたりもしました。でも健康診断で判定が出ているのに無視するなら検診の意味がありません。ネットで情報を漁りました。『眼底出血は多くは原因となる糖尿病・高血圧などの異常があるが、これといった理由なく出血する場合もある』という情報も見付かりました。
 眼底に出血があると、その部分の視野が欠けるとも書かれています。私は片方の目を瞑り上下左右に視線を変えてみました。視野が欠ける部分があるように思えませんでした。反対の目も同じように試しました。

 いろいろの情報の中に眼底の静脈が詰まると血液の戻りが悪くなり血管が破れて出血するというのを見付けて、これかも知れないと思いました。どの情報も治療をしなければ最終的には視力を失うという記述です。そして初期に発見すれば血流を改善する薬を投与したうえ、出血部位をレーザーで焼いて止血をすれば重大な結果にはならないということです。私は覚悟しました。そして昨年まで異常なしできたのだから初期の段階だろうと希望的観測にすがりました。次の日に眼科受診をしようと決めました。

 思い定めると、これまでの検診結果が思い出されました。これまでも胃検診の結果、異常が指摘されたことが複数回ありました。
 バリウムを飲む検査で『隆起性病変あり』との判定を受け、内視鏡検査の結果“異常なし”だったことが2度あります。この時も胃癌ではないかと覚悟しました。また尿検査で『糖が出ています』といって検査紙を見せられ、掛り付け医を受診して再度検査を受けた結果、腎臓に異常はなく、尿に糖が出ていないと診断されました。この時は腎性尿糖だと言われましたが、検診の際、何か間違ったのかも知れません。

 しかし眼底撮影は胃検診や尿糖検査とは少し違うような気もしました。眼底撮影の画像はとても鮮明な画像で正常な画像と比べれば“出血”部位が素人目にも識別できました。やはりレーザーによる止血治療が避けられないかも…。
 明くる朝、眼科を受診しました。窓口で訊かれ「市の検診で眼底出血と…」、告げながら検診結果を提出しました。診察前にひととおり眼圧などの検査と視力検査を受けました。視力は左が0.8、右が1.0だった。いつも使う遠近の老眼鏡を使えばもっと見えますが裸眼での結果です。67歳としては悪いとは言えないでしょう。

 暫く待っていると診察室へ呼ばれました。中へ入ると中年というには未だ若い女性の医師です。私の目にライトを当てると「あ〜白内障もありますねぇ」と仰った。以前、ドックでも言われたことがありますので「でも年齢相応でしょ?」と返しました。「えぇ、仰るとおり年齢相応です」とのことでした。そして虹彩を開く薬を点すので3・4時間は見え難くなること、帰りにクルマの運転をしない方がいいと告げられました。

 点眼後30分ほどして虹彩が開き切ったあと両眼の眼底撮影を受け、暫らく待ったあと診察室へ呼ばれました。医師は大きな画像を見ながら「これで見る限りは出血はないですねぇ」といいました。画像の一部が曇ったようになっています。私はそれを指さして「この辺りは?」と尋ねますと、それは黄斑という部分で異常ではないとのことです。
 いずれにしても眼底撮影で確認できるのは正面から見える部分だけとのことで、いよいよ医師が眼底を覗いての検査が始まりました。医師の指示通りに眼球を左右上下斜めに精一杯動かしました。手にかざしたライトが眩しいですが却ってしっかり検査して貰っているという実感がしました。右を終えて左…。集団検診では片側だけで虹彩を開く薬は使いません。やはり眼科での検査とは精密度が大きく異なるのです。

 やがて左の眼から検査用のレンズを離すと医師は
「はい!終わりました。全く異常ありません。動脈硬化もないし…」といったのでした。重荷がスッと消えるようでした。私は思わず
「よかったぁ〜、安心できましたぁ」と口にしました。医師は
「だいぶご心配されたのですか」といってくれました。そして集団検診の画像がおかしい場合、或いはレンズのゴミかも知れなくとも精密検査を受診させる方向で判定を下すのだろうと仰いました。集団検診では眼底撮影でもこんな“間違い”があると知ったのでした。結果的には必要のない心配、必要のない精密検査でしたが、逆の場合を想像すると精密検査を受診する機会を得たことが幸運でした。

 今回の“事件”は目が見えなくなるかも知れないという厳粛な恐怖が襲いました。これまで職場での検診を含めれば数え切れないほど集団検診を受けました。集団検診は大多数の健康な人にとって年に一度の小さなイベントに過ぎないものです。これまで集団検診で幾度も引っ掛かった経験がありますが、その殆どが精密検査の結果『異常なし』です。

 しかし重大で命に関わる指摘を受けたこともあります。もう24年も昔のことです。検診の結果『異常有り』と指摘されましたが一年間そのままにして次年度も同じ指摘を受けました。
 CT検査の結果、右腎と離れ切らないままの左腎が機能不全で尿ボールと化していました。手術は幾度も経験していましたが、左腎摘出は大手術でした。この手術後、苦手な夏が幾分楽に過ごせるようになったのを覚えています。

 市では“めざせ100彩”という長期的なキャンペーンがあります。自治体では市民がいつまでも健康で過ごすことができるようにと、毎年ウォーキング大会を催したり、集団検診の結果メタボリック症候群に該当するケースでは市が委託した健康指導員が自宅を訪問してくれたりします。また国民健康保険から人間ドック受診の補助もあり、高齢者が健康で過ごすためにあれこれと手を差し伸べて頂けます。有り難いことです。市民の健康維持は誰からも文句が出る余地がありません。
 しかし普段から疑問に思っていることがあります。“めざせ100彩”といっても本当に高齢者の長命が期待されているのでしょうか。高齢者が病気になって医療費が嵩んだり、認知症になって介護費用が重荷になることを避けたいだけじゃないのでしょうか。
 以前“ガングリオン”で市内の整形外科医院を訪れた時、待合室の高齢の女性たちのお喋りを聴くともなしに聞いていると、まるで『おばあちゃんたちのサロン』のような雰囲気を感じてしまいました。あのサロンも健康保険の収支を圧迫しているに違いありません。

 私たちは社会のコストに思いを馳せても自身が故意に消え去るのは無理ですから、せめて医療費の抑制に協力したいと思います。だから社会的には長生きが期待されないとしても、そんな社会の本音には気付かないふりをして、只々健康で過ごせるよう留意して日々を過ごしていくしかないのでしょう。

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