24 騙すなんて

ていいちOTP

  怪しげな電話がよく掛ってきます。如何にも親しげな口調で投資話を持ち掛けてきたり、有利な資金運用話を説明したりします。メディアで報じられている限りは詐欺事件は減少しているとのことですが電話による仕掛け人たちのアタックは増加しているように思えます。今では電話が掛ってくるとすぐにお断りして切るようにしています。

 若い頃から現在まで何件かの詐欺や詐欺まがいのケースに遭遇しています。もう30年ほどになりますが、初冬のある日仕事から帰ってくると妻が
「業者の人が来てトイレのマスが壊れているのを2万円で修理してくれたよ」といいます。話を聞いてみました。
 日暮れたばかりの頃、知らない業者がやってきてトイレと浄化槽の間にある枡が壊れているので今すぐに修理をするといったらしいのです。費用は2万円でいいからというのでやって貰ったといいました。
 なんでも枡の蓋を開けてドンと突くとボコッと穴が開いたそうです。そのときは深く考えないでいい加減な返事をしていました。仕事を終えて帰ると精神的に疲れ切っていて余裕がなかったのです。その週末に修理をしたという枡を覗いてみたがセメントを塗ったような跡がありませんでしたが、ちょっと訝しく思っただけでそれ以上は考えませんでした。それが詐欺だったのです。

 その後、短い頻度で不審な業者が訪れました。後にテレビでも取り上げられるようになる床下換気扇の業者もやってきました。床下の換気が悪いと土台が腐るので換気扇の取り付けを勧める業者です。それが詐欺業者だとは知らなかったので部屋へあげてコーヒーを出してゆっくり話をしました。
 私自身がそれまでに幾度も床下へ入っていること、家の布基礎を設計する際に換気扇を取り付けることなど想定していないこと、その他諸々を合理的に説明をしました。するとその業者は諦めたらしく床下換気扇を勧めなくなり、帰り際に「大丈夫だと思いますが、念のために床下を点検してみましょうか」といったので出入り口になっている床下収納口から潜って貰ったのでした。暫らくして出てくると「大丈夫です。何処も問題ありません」といって帰って行きました。とても良い感じの人で詐欺業者とは思いもしませんでした。
 ある時は玄関チャイムが鳴るので出てみると、ドアを開けていきなり「○○の点検です。△△を開けて下さい」と畳み掛けるように大きな声を出しました。一瞬考えましたが自分の身分も名乗らず不審でしたので「点検して頂かなくても結構です」と応じると、何の説明もなくそのまま帰って行きました。

 そんなことが幾度かあったあとNHKの番組を見ていると、体験した幾つものことが詐欺の典型的なパターンとして紹介されていたのでした。また業者は“騙し”が首尾よく成功すると家の何処かに、それと分からない目印の小傷をつけ詐欺業者同士でカモになる家を共有しているというのです。
 翌日家の周りを点検しましたが、それらしい小傷が見つかりませんでした。おそらく一般の人間が見てもそれと知れないような小傷だったのでしょう。

 詐欺という言葉はおそらく法律用語だと思いますが、言葉を変えれば『騙す』ということです。騙しには幾つかのジャンルがあります。嘘の投資話のようにお金に対する欲を利用するもの、壺を購入すると不幸を避けることができるなどと危機意識を利用する騙し、結婚詐欺など『男女の愛』を利用するケース、そして疑うことを知らない無垢な人を相手にその信頼感を利用する詐欺もあります。

 詐欺行為はどれをとっても憎むべき犯罪です。それはどのケースでも良き人間関係の基本である『信頼を寄せる心』を踏みにじる行為だからです。人の金銭欲を利用された場合は憐憫の情も薄くなるが、世ずれていない人の素直な心を踏みにじるやり方は平和な社会に必須の『人』同士の信頼感を砕いてしまう行為であり、非常に罪深いものです。
 詐欺は人を殺したり傷つけたりする犯罪と違って刑罰が軽いようですが被害者の心を砕き人への信頼感を潰す行為ですから厳罰にすべきだと思います。

 ところで明確に詐欺行為だといえず、感じ方の問題ともいえるが、どうも胡散臭いというケースもあります。
 テレビ通販のパフォーマンスで数年前まで面白いものがありました。今ではホームセンターやスーパーでも扱っているメラミンフォームを直方体に切ったものの販促です。
 画面の中の演者はメラミンフォームでいろいろな汚れを擦り取って見せていました。本当に不思議なほど汚れが落ちていました。なにしろ洗剤を使わず水だけで、或いは水さえ使わなくとも汚れが落ちることを巧みで面白いパフォーマンスで演じていました。

 テレビで見せている“事実”には嘘がありません。その画期的な性能のメラミンフォームをデスクの上にずらりと並べて『これが大特価の○○円!』と大声で宣言します。更にテレビ通販でよく見せる展開へ持っていきます。『さあ今回は特別にこれだけ追加です!』と絶叫しています。もうこの時点でメラミンフォームが山のように積まれています。
 視聴者はあんなに沢山の画期的な性能の汚れ落としが○○円とは安い!と感じたことでしょう。…あれの何処が胡散臭いのでしょう。その頃、メラミンフォームはまだホームセンターでは売られていませんでした。

 その後、ホームセンターなどで同じモノを文庫本の半分くらいの面積で厚さが倍くらいのものを百円程度で売るようになりました。その頃になるとテレビ通販はなくなっていました。そして気付いたのです。値段の問題でなく商品の性能の問題でもありませんでした。
 テレビのパフォーマンスで売ろうとしていたのは一般の家庭にとって、とんでもなく大量だったのです。一般家庭ではそれほど頻繁に汚れ落としをしませんし、必要なときにはホームセンターで必要な大きさのモノを買ってくれば足ります。つまりテレビ通販ではパフォーマンスによって個人の必要量を錯誤させて大量に購入させるという点が“詐欺まがい”だったと思うのです。しかも必要量を錯誤したのは購入した方ですから販売者の方は法的に何ら問題がありません。しかし注文した人はすぐに量について騙されたことを知るに違いありません。

 騙すといってもちょっと目先の変わったものもあります。それは最終的に個人の選択に委ねていて“騙し”の範疇には入らず、目くじらを立てる人が少ないかも知れません。しかしだからこそ尚たちが悪いと感じました。

 20年近く昔、妻に誘われて初めて立山へ登りました。北陸道を走り富山の手前のICで降り南へ走ります。立山ロープウェイの駅がある千寿ヶ原の駐車場に車を停めてケーブルカー・美女平からのバスを利用して室道へ、そして歩き始めます。なんの遮るものもなく立山の頂の辺りに豆粒のように建物が見えました。雄山の右下に〈一の越山荘〉が見えます。真っ直ぐ向こうに見えるのですが歩き始めると意外に遠いのです。〈一の越山荘〉から雄山頂上までは急登になりました。食事後だったこともあって長い急登は堪えましたが立山の頂上が目の前にあると思うと心が高揚しました。そしてとうとう頂上まで登りつきました。

 ところが雄山の本当の頂上部には小さな祠があり手前の社務所で参拝券を購入しなければならないのです。社務所から小さな祠までは数十メートルで手が届くほどです。信仰心がある訳でなく、そんな頂に拘る気もありませんでしたが、祠のある場所まで進むと眼下の黒部湖が一望できるらしいのです。参拝券は500円でした。
 非常に不愉快な気持ちに囚われました。雄山の最頂部に立つには一般の登山者でも参拝券を購入する必要があるとは“頂上”へ登りつくまで何処にも明示されていませんでした。
 何も知らない大勢の登山者が頂にやってきた途端に『“てっぺん”迄行きたければ500円の参拝券ですよ』というのは“たちの悪いやりかた”です。それは神様のやることではありません。私は『意地でも祠のある最頂部に立つものか』と参拝券を求めずに下山しました。詐欺まがいだと思いました。その後も立山を半縦走するコースを歩く機会がありましたが、祠のある場所へは立ち入りませんでした。

 現代の社会では人として犯してはならない一線が曖昧になっています。詐欺のような犯罪ばかりでなく、信頼を寄せてくれる相手を騙して金銭をものにしようとする人間もいます。
 或いは自分の都合が悪い場面では躊躇うことなく嘘を口にする人間もいます。詐欺的行為は勿論、虚言を躊躇わない人間は日々自身への信頼を潰していることに気付くべきです。 ウソを日常的なツールにしている人間は相手の心を日々踏みにじっていることに気付くべきです。
 なかには悪意がないまま己の幸せだけを求め続けるスタンスで、その為にはウソをツール化して便利に活用しながら暮らしている者もいます。そんな人の辞書には信頼という単語が抜け落ちているに違いありません。嘘や騙しが人と人との基本的な繋がりを切り離し、コミュニティを崩し社会を形骸化させることを忘れてはいけません。
 最近は怪しい電話が増えたせいで受話器をとったあと、知っている人だと確認できるまでは警戒しなければなりません。憂えるべきことですがやむを得ないのです。残念な社会になりつつあります。

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