23 旅行のことごと

ていいちOTP

   テレビ放送がデジタル化してかなり経ちます。アナログ時代よりも画面が鮮明になりました。我が家にはデジタルテレビが2台あって、片方は〔フルHD〕です。縦横のピクセルの数が放送局側で期待する最大値で再現できます。別の1台は画面も少し小さいためフルHDではありません。
 デジタルテレビはきめの細かい画像を見ることができます。特にフルHDの画面は臨場感がいっぱいです。そんな美しい画面で世界遺産を紹介する番組などを観ていると世界を巡っているようで楽しいのです。

 また〈こころ旅〉という火野正平さんが自転車で視聴者から寄せられた心に残る風景を訪ねる番組があります。臨場感溢れる番組です。名のある観光地でなくとも素晴らしい風景があるのだと心に沁み込みます。60歳を過ぎた火野さんの無頼な老人の風情も興味深いのです。
 テレビで見た風景に興味を持つと、ぜひ自分の目で実際に観たいと思うことが多くなります。アナログ画面ではどうしても実際に観るよりも粗い描写になるので実際の風景の前に立ちたい思いが強くなります。
 デジタル映像になってから随分鮮明な風景が観られるようになりましたが、それゆえ尚のこと旅行したい気持ちが募ります。

 最近はいろいろな旅行会社が各種のツアーを組んでいます。日帰りツアーから海外旅行のツアーまでお好み次第です。約60年前の第一次ベビーブームの人たちがリタイヤして第二の人生を歩み始めていますのでツアーのお客さんは沢山いるでしょう。
 ツアーに参加するととても効率よく観光できます。個人だと高速道路料金が嵩むうえ宿泊を余儀なくされるような遠路でも日帰りで往復することができます。宿泊を伴うツアーなら尚のこと効率よく有名な場所を数多く観光することが可能になります。航空機利用のなん日ものツアーから帰ってきたときなど、様々な有名観光地を心に反芻しながら個人では滅多に訪れることができない場所を自分の目で実際に観光してきたことに満足感を覚えます。各種のツアーを組み合わせて積極的に旅行をすれば殆ど日本中の有名地を網羅することさえ不可能ではなさそうです。

 リタイヤしてから南は石垣島から北は礼文島まで様々なツアーに参加しました。日本列島を縦に殆ど端から端まで名勝を見学したことになります。…一応そうなります。沢山の思い出が残りました。名勝地などで撮影した写真もたくさん残りました。昔のようなフィルム式でなくデジタルカメラなので撮影した画像の数が膨大になりました。

 大まかに日本を縦断した後、未だ見学したことがない場所へ行くツアーがないかと探します。最近は新聞の折り込みチラシに旅行会社のものが沢山見られるようになりました。団塊の世代がリタイヤしただけでなく昔と比べて心身の若い熟年者の割合が多いからでしょう。現在の高齢者が若かった頃は現在と異なり生活が質素だったため、高齢になって可処分所得に余裕があるのかも知れません。
 ところで最近気付いたことがあります。各社の美しいカラー刷りのチラシを眺めていますと、旅行会社が違っても同じような見学パターンがとても多いのです。同じ場所へ殆ど同じ行程で移動することになっています。
 日本はそれほど広くなく、ツアー会社がターゲットにしている最大公約数の人たちの興味を引く名勝といえば限られてくるのだと納得しました。

 ツアー初日、集合場所で出発を待っている時間は胸がわくわくして楽しいものです。早めに指定された場所へ到着して待っていると次々と同じような旅姿の人たちがやってきます。やがて旅行会社の添乗員が到着すると上気した楽しそうな表情で旅行に関する説明や注意を与えてくれ、航空券などを手渡してくれます。そうこうしているうちに添乗員とツアー参加者は同じ旅行者となって各地の見学を楽しむことになるのです。
 ある時、ツアーから戻ってきたあと事情があり添乗員の方を駅まで送ったことがありました。その方は大変恐縮され丁寧にお礼を述べて行かれました。そして数日後、丁寧にその方から葉書が届きました。文面には駅まで送っって貰ったことに対するお礼と、明日から先回と同じツアーコースの添乗に出掛けてくる旨記されていました。

 丁寧な便りですが、それを読んで多少落胆、複雑な思いになりました。旅行会社の人も自分たち参加者と一緒に楽しく見学していたと思っていましたがパターン化したツアーコースで“お仕事”をしていたのです。それは丁度テレビの番組に素顔の俳優が招かれ、演技なしで自らを披露するのを見たとき、ドラマの演技とのギャップに戸惑い少なからず落胆も覚えるのと似ています。考えれば当然過ぎるのですが、旅行に参加する者はそれを敢えて意識下において楽しんでいるのです。

 個人で旅行する場合はクルマであっても鉄道であっても時間の制約がなく見学場所も自由に変更でき、自分たちだけの非日常の世界を楽しむことができます。しかし見学場所を明確にし過ぎると余裕がなくなりロマンが失われますのでツアーのように効率よく名勝を回ることは難しくなります。また必ずしも名勝に拘らないのが個人旅行の良いところでもあります。個人で旅行した思い出はツアーよりもずっと深いものです。それは旅行中の心の世界が異なるからです。
 ツアーでは夫婦の会話の内容さえ制限を受けてしまいます。また立ち居振る舞いも他所行きを通さなければいけません。2人で座っていても表情さえ幾分パブリックになってしまうのです。でも個人旅行なら開放感いっぱいです。何処でも自由に羽ばたくことができます。

 現在まで幾つもツアーに参加してきました。個人旅行はクルマを利用してあちこちを巡り走ってきました。沢山の思い出が積み上がっています。ところが過去の旅の記憶がどこかテレビ番組から受ける印象と違う気がしてきました。
 理由はどうも“テレビ番組”になっている為ではないかと思います。テレビ放送の地デジ化以降、画面が鮮明になったという理由だけではありません。日本や海外の世界遺産に登録されたところを紹介する番組などを観ると、偶然同じ場所を訪れた記憶があっても、より強い印象を受けます。ツアーや個人のドライブ旅行と比べて違う理由はすぐに分かりました。
 テレビの取材では個人では立ち入れない場所や通常とは異なる目線で撮影しているからです。また有名な場所であっても観光客が殆んど映っていないのです。これでは同じ場所であっても印象が全く違うわけです。テレビで観た場所へ出掛けると想像した程は感動しない場合が多いのはそういう理由があります。もちろん実際にその場へ赴いてしまうとイマジネーションが働く余地がなくなることも大きいでしょう。

 〈観る〉ことに限って考えれば旅行するよりも入念に取材された放送番組の方がずっと情報量が多いでしょう。だから旅行などしなくても良質のテレビ番組を上質のデジタルHD画面で楽しんでいる方がよい…?これは難しい問題です。考えてみれば〈旅行〉は物見遊山ではあっても『観光』が主目的ではないのかも知れません。一見矛盾した興味深い事実です。

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