21 諦観できれば

ていいちOTP

  もう何年も前から人生の重大事は健康に尽きると考えるようになっています。もっとも年齢が若くても、そうでなくても人生で最も大切なものが健康であることに変わりがないのですが、それに気付くのは概ね老年に差し掛かって以降です。若い時にも理屈では分かるのですが殆どの人には実感がありません。老年になってはじめて健康が大切だと分かるのは少しずつ健康が損なわれてくるからに他なりません。健康に自信がなくなってはじめて若い頃に理屈だけで分かっていたことを身をもって理解できるようになります。 

学生時代、学部1年で履修する基本科目の〈経済学〉の授業で〈marginal utility〉という概念が出てきました。〈限界効用〉と和訳されます。これは、あるモノが少しずつ無くなっていくに従って、それの価値が大きくなっていく概念です。経済学的には一般に、食べ物や水は限界効用が大きく、いわゆる贅沢品は限界効用が小さいとされます。
 しかし食べ物や水は少しずつ多くなって私たちに必要な量を超えた途端、急激に価値が小さくなります。反面贅沢品は量が多くなっても食べ物や水ほどには価値が下がりません。昔教えられた経済学の基礎を思い起してみると〈健康〉は食料や水と同様、或いはそれ以上に限界効用の大きな物に違いありません。モノではないですけれど…。

 かつて職場に羨ましいほど健康で医者や薬などとは縁がなさそうな人がいました。ある日、話をしていると
 「おれは体には自信があって医者になんか掛ったことがないが、歯医者だけは別なんだ。歯だけは幾度も医者に掛っている」といいました。自他共に健康この上ないと認めているような人でも歯の健康だけは私と変わらないのだと知って、大いに驚き、意味のない安心感を抱いたりしたことがありました。
 40歳を少し超えた頃、歯磨きをしたあと歯茎から血が滲んでいるのを発見しました。血が滲むとは異常なことだと驚いて早速歯科医院を訪れました。医師は口の中を診ると直ぐに赤く染まる液を上下の歯茎の周囲に塗りました。うがいをしたあと鏡をかざして私の口の中をよく見るように言いました。口の中が真っ赤に染まっていて特に歯と歯茎の境目が赤く見えます。
 「赤い処は磨き残している箇所ですよ」と云いながら、指を口の中へ入れて歯茎の辺りを強く押しました。歯科医師は
 「ほら白いのが出るでしょ、歯茎が膿んでウミが出たのですよ」といいました。歯槽膿漏に罹っていたのです。非常に驚きました。
 後に歯槽膿漏は40歳を超えた人には程度の差があっても殆どの人が罹患しているのだと知りましたがその時は自分がまさかと思いました。

 歯周病と称しているこの症状は歯を磨くのを怠っている人だけに発症するものだと考えていました。どちらかというと几帳面で融通がきき難い性格なので、それまでもキチンと歯を磨いていた積りだったのです。歯ブラシを縦と横に十分動かし磨いていました。磨けていないとは思いもしませんでした。しかしその日、歯科医師の説明をよく聴いて自分の考えが足りなかったことを理解しました。歯ブラシを縦横に滑らしているだけでは深い箇所へブラシが届かないのです。深い箇所は磨かれないままに年月を経てしまったのでした。

 その日はこれといった治療なしに歯磨き指導を受けて帰って来ました。その夜から指導されたようにブラシを短く前後に揺らすように磨きました。歯間ブラシも使うようになりました。
 歯間ブラシを使うと歯の隙間にそれまで感じたことがない爽快感が広がりました。如何にもきちんと磨いたという結果が感じられるようで歯間ブラシが楽しみにさえなりました。
 実は歯間ブラシの爽快感は、それまでブラシが届いていず、腫れて炎症があり敏感になっているためメントール効いたのです。だから改善するに従い爽快感は小さくなりました。そのようにして通院を続けているうちに出血もなくなり、医師からも歯茎の状態が良くなってきたと言われるようになりました。
 しかし一旦歯周病が進行してしまうと歯茎の腫れが引いても歯と歯茎の間の歯周ポケットといわれる隙間が深くなっています。歯ブラシは其処まで届きませんので定期的に歯科通院して奥深くを掃除して貰わなければいけません。歯周病の進行をなんとか遅らせるのです。歯周病を止めたり回復させることは殆ど不可能だといいます。

 歯科医院へ定期的に通院をして歯周ポケットを掃除して貰い、最後に特に深い部分へ麻酔を打ち歯石をとって貰うのですが、歯茎の複数の箇所へ注射をされるのが恐ろしいのです。針を奥深く刺されると痛みます。麻酔薬がすぐに効くので痛みは一瞬ですが恐怖は一瞬ではありません。
 治療が始まると複数回通院しますが、いつも最後の麻酔注射を思って怖いのです。通院が始まると何周も前から注射の恐怖を感じるのです。生来気が小さく怖がりなのです。
 しかし歯科通院は長期に亘っているからか、最近少し思いが進化したようです。今までは通院が始まるたびに恐怖を感じていたのですが、近頃は『歯科通院は歯がある限り、大仰に言えば命ある限り』続けなければいけません。おそらく避けられません。そうであれば、できれば先を思って恐れるのをやめたいと、怖い時だけ怖いと思えばいいと、思いました。予め怖がっても仕方がないと、そんな風に少しずつ思えるようになったのです。そんな諦観が芽生えてきました。

 殆どの人は長い人生の大半で、先のことを思い今の辛さを耐えて過ごしていると思います。それを『努力』とも称しています。明日を楽しく過ごすために今努力しなければいけないというスタンスです。それは概ね正しいのです。若い頃、能動的に生きている時は殆ど正しいのです。しかし努力しても避けられない場合は受動的に生きる他ありません。そんな時には諦観する他ないのです。
 これまでの来し方を踏まえると概ね“諦観”することで安らぐことができましたが、ひとつだけ例外的な経験があります。40代の初め、左の腎臓を摘出しました。水腎症と診断され馬蹄腎ともいわれました。左右の腎臓が繋がっていて切り離す必要があり、1週間は絶対安静で身動きができないといわれました。
 その時初めて知ったのですが、腎臓は胎児の初期にはひとつであり成長するにつれて2個に分離するそうです。それが何らかの原因で分離できず、そのため尿管が捻じれ尿が腎臓に溜り続けたらしいのです。
 大きく膨らんだ左腎は組織が殆ど消え大きな尿ボールと化していたのでした。私は手術の恐怖と後の絶対安静の苦痛を思って恐ろしく思いました。担当医師は「そんなにびくびくしてないでドーンと構えて…」といって怖がっている態度を冷笑しました。1週間の絶対安静を心配していると、医師は「…そりゃぁ、1週間じっと動けないんだから辛いでしょうねぇ…」とニヤリとして言いました。悔しい思いでしたが、恐怖で小さくなり黙していました。

 手術前に看護婦さんが話してくれました。全身麻酔が醒めつつあるときに我知らず心深くに抑え込んだ思いを言葉に出す人が稀ではないそうです。そして私も同じことをしたらしいのです。
 手術の明くる日、担当医にお礼の言葉を述べると「…よく言うよ…」といいました。手術が終わり、開腹した結果、絶対安静でなくともよいことになり、深く安堵して述べたお礼に対して「…よく言うよ…」といったのです。訝しく思ってつい「…っえ!」と返すと「まぁ、あんたは覚えていないんだからいいよ…」と言われました。ベッドに身を横たえて幾度もぼんやり考えました。
 退院したあとで、ほんの少しずつ、手術室で覚醒しつつある時に医師への不満を口にしたことを朧に思い出したのでした。そのことを恥ずかしいとは思わず、むしろ心の内を相手にぶつけることができたことで満足な気持ちになりました。素面で口にすることができない気持ちを吐き出すことができて嬉しい気持ちにさえなりました。

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