20 食べることって

ていいちOTP

  幸せとは何でしょうか。若い頃は自分の好きなことができれば幸せだと思います。人それぞれにやりたいことがあるので幸せの基準は多様です。でも恐らく誰でも年を重ねるに従って幸せの基準が少しずつ『健康』に収斂されていくのではないでしょうか。若い頃は仕事も遊びも精一杯でき、我知らず無理もしていますが、年をとるにつれて誰でも具合の悪いところが出てくるものです。
 最近の健康管理のバロメータは体に着く脂です。過日、図書館で楠田枝里子さんのチョコレートに関するエッセイ集を見付けて読みました。そこにはチョコレートが体に良いという体験談が沢山取り上げられています。彼女の出身学部・経歴を考えてとても興味を持ちました。チョコレートは幼児のころ、憧れのお菓子でした。現在でもとても好きです。
 それでチョコレートを日常的に食べることにしました。板チョコが近隣のスーパーの特売品になることがあり、幾種類かある中、『ブラック』を選びました。楠田さんの著書でもブラックチョコが健康に良いと書かれています。これを毎日一枚食べることにしました。
 これほど美味しいものが健康に良いなんて素敵なことだと思いました。幼少期に母と賀茂川べりの道を歩いていた時、向うからやって来た進駐軍の兵隊から一枚のチョコレートを貰った思い出があります。あの頃、一般には手に入らないものでした。あれ以来チョコレートが好きなのです。

 ところが2・3ヶ月して風呂上りに体重計に乗ってみると数字が1.5キロ余り増え、内臓脂肪レベルが11と2段階上昇してしまいました。体調はとても良く食事前には空腹感が強くなっていました。しかし当時の運動量を考えれば明らかに食べ過ぎだったのです。ブラックチョコレートでも“甘い”のでした。かかり付けの医院では、健康に良いチョコレートとは砂糖の入っていないチョコで『そこらのスーパーの商品など甘いだけの菓子で…砂糖の入っていないチョコは非常に値段が高い…』と言われました。また家庭用の体組成計などあてにならず特に内臓脂肪レベルなんて、いい加減な付加機能だと言います。いつもの取り付く島のない断じ方には慣れています。しかし家庭用の体重計でも参考にはできる筈です。医師にとっては正確とはいえない精度であっても一般人が参考にする程度には十分利用できるに違いありません。

  十数年前人間ドックで境界型糖尿病と言われたことがあります。異動した職場で昼食の量が多かったのが原因でした。そのときは驚いて食事の量を半減させ、3ヶ月ほどで4キロ減量しました。幸いにもその後、[hbA1c](ヘモグロビン、エーワンシー)の値が異常になったことがありません。しかし今回は医院での先日の血液検査の結果が心配になっています。そのため1週間ほど前から糖質を摂り過ぎないように努めています。
 このように糖質半減に挑戦するのは勿論初めてではありません。これまでも体重計に乗って驚くたびに、風呂上りに自分の太鼓腹を見て驚くたびに、食生活改善に取り組んだのですが、少し成果が出始めるとつい余計に食べてしまうのです。そして再び体組成計の数字に脅迫されるということを繰り返しています。

 幼児の頃は食が細く大人が心配するほど虚弱でした。体力も劣り痩せ形でした。最近はスマートな体形のことを『痩せている』と表現しますが、痩せているというのは不健康であるというニュアンスが感じられます。
 健康的な体形とは適当な筋肉が付いている状態である。そんな健康的な体形とは無縁ですから、しばらく気を許すと腹だけが出っ張り、他が痩せたままという体型になります。少し斜に構えて鏡を見ると恰も地獄絵図に描かれている『餓鬼』のような姿になります。

 リタイヤしてから妻と一緒にスーパーへ買い物に出かけることが多くなりました。スーパーへ買い物に行くのが楽しいのです。年配者には『市場』へ行くことを嫌う人もいるようですが抵抗を感じたことがありません。ある店では65歳以上の買い物客なら10%割引という曜日を設定していて、その日はやはり年配の男が店内に目立ちます。おばさんが65歳を超えたおじさんを連れてくるからです。
 現在はどのスーパーでも食材が所狭しと並んでいて、もはや不足するものなどあり得ないと感じられます。また近隣にある複数の店が競い合っていますので適当な値段のものを見付けるのに苦労しません。まさに金さえ出せば何でも食べられるのです。その結果、食べ過ぎて不健康な餓鬼のような体型になるというわけです。日本の食料自給率が40%などと言われていますが日常的には意識するのが難しいのです。

 適度の脂肪は内臓の位置を安定させるのに必要だと言われますが、余分な内臓脂肪・皮下脂肪を減らすには食べ過ぎないことが肝要です。でもそれがとても難しいことです。あるときNHKの〈ためしてガッテン〉で実験をしていました。
 猿にサツマイモを与えると食事毎に食べる量が決まっています。与える量を増やしても、いつもの量以上には食べないで残してしまうのです。ところが次に見た映像では同じお猿がいつもよりもずっと多くの量を全部平らげてしまいました。進行役の女性アナウンサーが種明かしをしてくれました。
 実はいつもどおりのサツマイモでなく、蒸したイモにバターと砂糖をまぶしたものでした。美味しく加工すれば必要な量以上に食べてしまうのです。

 このおサルの実験は目からうろこの深い示唆を与えてくれます。私たち人間の食生活は日常的に美味しいものを求めています。食料自給率がどうであれ目の前に豊かな食材があります。メディアでも“美味しいもの”をテーマにした番組が沢山あります。そして“美味しいもの”はお猿の実験のように必要以上に食欲をそそるのです。その結果、餓鬼のような我が体型におののく結果になります。限りなく不健康に接近するのです。

 思えば物心ついた戦後数年の頃、貧しいという理由だけでなく食べ物も健康を維持するのに十分ではありませんでした。あの頃、カロリー計算といえば摂取量不足になることを防ぐための方途でした。ところが現在ではカロリーを摂り過ぎないという目的で計算されています。食べ物が殆ど自由に手に入り、美味しいものを簡単に食べることができる今の社会で、食べ過ぎないように努めるのが健康の秘訣とは何とも贅沢で皮肉なことではあります。

 では美味しいものを求めず、お猿のように必要最小限の食事を摂ればいいかといえば、そうはいきません。食事は人間にとって文化であり幸せの条件の1つだからです。しかし美味しい食事の幸せを実現しながら食べ過ぎないように気をつけるというのは、お猿の実験で分かるように動物の本能としては相反することです。
 特定の本能的な行為は状況により犯罪を構成するので容易に抑制できますが食欲はそうはいきません。ですから今日も体脂肪減少を目指す挑戦を繰り返すことになってしまうのです。

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