15 皮膚感覚

ていいちOTP

  猫と一緒に暮らし始めたのは30年あまり昔からです。息子が8歳でした。猫を飼いたいと言ったのは妻です。私も猫は子供の頃からとても好きでしたが、生き物がいると家を空けられないことが気に掛ったのと、同業者の専用宿舎で猫を飼うことが憚られたので躊躇したのです。しかし宿舎利用規定に猫を飼うことについての記述がなく、過去にベランダで狩猟犬を飼っていた人もいたことから、妻が強く望んだので同意したのでした。

 子供の頃は、街に捨て猫がいるのが珍しくなく個人の家庭で生まれた子猫を譲りたい人が珍しくありませんでしたが、我が家で猫を飼おうとした頃は、猫を探すにはペットショップという時代でした。
 我が家の猫は2代までシャムでした。当時シャム猫が流行していたのかも知れません。
 初めて一緒に暮らすことになったシャムは尿道結石のために残念ながら2年あまりで亡くなりました。埋葬したあと喪失感が大きく皆が悲しみました。
 2代目のシャムはショップで売れ残っていた猫で容貌が今一つでしたが家族になれば同じように可愛い仔でした。狩りの名手で頻繁に雀を捕ってきて丸ごと食べ尽くし、私たちを驚かせました。この仔は20年8ケ月生きて寿命を全うし、眠るようにして逝きました。

 今一緒に暮らしている猫はノーブランドのトラ猫です。H21年6月生まれのとても健康な仔です。昔から何処にでも見られる日本猫のように見えますが獣医さんによれば、もうかなり昔から洋猫と自然交配していて純粋種の日本猫は殆どいないということです。我が家の『ミミちゃん』もその体つきから洋猫のDNAが混じっているとのことでした。

 ミミちゃんは初めての室内飼いです。猫を家の中に閉じ込めておくという発想はなかったのですが、現在はそれが社会的に求められているのです。でも幼い頃から外に出ないで暮らす環境にすれば慣れるらしく大きなストレスにならないようです。
 ミミちゃんは声掛けをすると〈でんぐり返り(前転)〉をするようになりました。猫の専門家でも「猫は精神的に独立的で犬のように人に従順ではない」といいますがミミちゃんはそうではありません。

 妻の実家ではその昔牛を飼っていたそうで、子牛は業者に引き渡される時、悲しそうに「モ〜」と鳴くのだと話してくれました。一緒に暮らした動物の運命を思い遣り、気持を寄せたのです。
 先日、妻が友人宅へ向かう際、ブタを数頭乗せたトラックが前を走っていたそうです。妻はその時のことを話してくれました。
 「ブタさんの耳がたくさん見えた。ブタさんたちはこれから殺されるんだなぁと思ったら涙が出てきた」私に対してだけのプライベートな発言ですが、妻は前を走るトラックの豚を自分に身近な動物とダブらせたのです。「もう豚肉を食べない…」ともいいました。勿論『食べないでいられたなら…』という意味です。これは年配のおばさんとも思えない乙女っぽく非現実的な感じ方ですから笑ってしまうようなことではあるのですが、私は冷笑する気にはなれませんでした。
 妻自身も自分の言葉のあり様を知っていて口にしたに違いありません。これからも豚肉を食べるに違いありません。しかし私は妻の思いに大切なものが隠されていると考えるのです。

 昭和30年代はじめ[凡児お脈拝見]というラジオ番組がありました。パーソナリティは西条凡児という漫談家でした。関西弁の庶民的な語り口でズバリとものを言うので聴取者が溜飲を下げることも多く、人気があり祖母が楽しみに聴いていました。
 ある日のこと、番組内で彼が自分への手紙を読みました。手紙は当時南極観測で犬橇に使うため連れて行った樺太犬についてのことでした。
 犬たちを諸々の理由から人間のいない冬の基地に繋いだまま置き去りにしたのですが、そのことを取り上げて欲しいという内容でした。もちろん手紙の主は食料も暖もなく、人のいない南極基地で死ぬ運命になった犬たちが可哀想でだという発言を期待したのです。戦後13年を経ていました。同じように感じる人が多かったでしょう。
 しかし西条凡児は手紙を読み終えると概ね次のように言いました。
 「これはもう、云わして貰います。…この前の戦争で南方のあちこちで玉砕して大勢の日本人が亡くなってること思うたら、犬が南極で死んだくらいは問題やありまへんわ…」

 私が物心ついたのは戦後のことであり日本軍が南洋の島々で全滅したことは大人の話で耳にしているだけでした。当時としてはほんの十数年しか経っていない時代のことですが、私には実感のない昔話のようなものでした。
 それでもこのコメントは合理的で合点のいくものだと思いました。300万人とも聞かされている戦争で命を落とした人々のことを“考えれば”南極で十数頭の犬が置き去りにされたくらいのことは問題にならないことだと納得しました。
 でもその時、私は合理的な思考とは別に何か腑に落ちないものが心に残ったのでした。西条凡児の取り上げ方が切って捨てたような物言いだったこともありますが、それだけではなく何かスッキリしないものが残りました。
 その後、南極の樺太犬については社会的な耳目を集め、映画にもなりましたので、当時でもたくさんの人々が置き去りにされた犬を可哀そうだと感じていたと想像できます。そして犬を可愛そうと思った人々の中にも子供や夫が戦死した人がいたかも知れないのです。

 大勢の人が戦争で亡くなったからといって南極に置き去りにされた十数頭の犬に対する憐憫はおかしいことでしょうか。
 戦争中や戦後間もない頃、社会には食糧事情その他、命に関わる危機感が身近だったに違いありません。危機が迫った社会では命のランクが明確だったと想像できます。しかし現在では心ある人なら、私たちが動物の命を食の糧にしていることを思い、その命をとることを已む無く肯定するというスタンスだと思います。
 そうではなく、命にランクがあることを当然のことと考えるなら、人としてのありように欠陥があると思わないわけにはいきません。なぜなら[自分以外の痛み]に目を瞑っていると思うからです。
 〈思い遣り〉の心は他人の痛みを感じることです。命のランクは思い遣りのランクに通じます。命を慈しむ心を最も感じるのは相手に肌で触れるときではないでしょうか。慈しむ相手に触れた時の記憶が人の痛みを思うことに繋がっています。それは観念的に『かわいそう』と思うだけでなく、もっと具体的な《皮膚感覚》としての思い遣りなのです。相手がブタであっても、皮膚感覚として間もなく殺されることを悲しいと思った妻の気持を、私は冷笑できないのです。同じように南極に残された樺太犬の運命も他の何かと比べて切り捨てることは理屈で分かっても腑に落ちないのです。

 皮膚感覚として自分以外の命を思い遣る態度が社会的に大きく育つなら動物に対しても人間と同じように、その命を思い遣る社会になるに違いありません。大勢の人間が亡くなったことと十数頭の犬が死ぬ運命になることを別のこととする考え方は命の次元が繋がっていることを見失った考え方です。
 戦争の時代はそうした皮膚感覚が邪魔になったに違いありません。そしてそうした皮膚感覚の欠如は大勢の人たちが戦争で命を絶たれたことと直接繋がっていると思うのです。

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