14 発 電 所

ていいちOTP

  平成23年3月11日、世界の誰もが驚愕する地震と、それに伴う大津波が東北の太平洋岸を襲いました。専門家の説によれば過去にも同じ地域で同じ規模の地震が起こっていたのだそうです。しかし現代を生きる私たちにとって余りにも過去の出来事で古文書の記録が事実だと実感できなかったのかも知れません。しかし地球の歴史の中では〈ごく最近〉の出来事ということになるのです。地球規模で考えれば記録に残る日本人の歴史など微かな点でさえないほどの時間に違いありません。

 太平洋側での地震でしたが日本海にほど近い町にある我家でも長い時間、ひどく揺れました。浴槽の残り湯が蓋を押しのけてざんぶりと溢れだしたほどです。そのあとすぐにテレビをつけると、信じられないような大津波が三陸の街を襲っている映像が目に飛び込んできたのです。地震被害を取材するために飛んだヘリからの映像でした。大きな家や大きな車両が津波に押し流されている光景を俄かには信じられず、まるでCGで作られた映画のワンシーンのようでした。
 でもその時は未だ原子力発電所の致命的な事故に結び付いていくと思う人は殆どなかったでしょう。新潟県にある柏崎原発はよく知っているが太平洋岸にある福島の原発など意識していませんでした。

 そして津波による致命的な原発事故が報じられるまで、原子炉で使用した後の〈使用済み核燃料〉を長期間水の中で冷却しておかなければ溶け始めて環境中に放射性物質をまき散らすことになることも知りませんでした。地震で緊急停止した炉心の燃料も冷却機能が失われればさらに危険なのでしょう。
 福島第一原発では想定を超える津波によって、冷却水の温度を管理するための電力を供給し続けることができなくなり、あのような惨状を世界中に晒したのです。
 研究者の中には過去に大津波を経験している地域であることを指摘した人がいましたが、原発を推進した人たちは千年近い過去の記述に基づく主張を信頼できるものではないと無視しました。千年に一度の災害といっても明日が千年目になる可能性もありますが、無視して目先の利益を優先しました。

 3月11日の地震は信じられない大津波を伴って幾つもの町を破壊しただけでなく、原発がまき散らした放射性物質によって復興の手を入れることもできない地域が大きく広がりました。
 私たちの現代の生活は電力を使用する機器に取り巻かれています。電気が止まれば生活が成り立たないといっても過言ではありません。
 ガソリンが不足しても生活に大きく影響しますが電気の方が身近です。

 今回の福島原発の大事故を契機にして電力の使用を控えることが求められました。具体的には電力需要の『ピークカット』という概念をメディアが繰り返し伝えました。
 使用電力のピークは家庭や事業所のエアコンの稼働が増える夏の気温の高い時間帯なのだといいます。大規模な工場で使用する電力が大きいように思えますが家庭や事業所で利用しているエアコンの数が圧倒的に多いのです。

 ところで、電力会社は普段なら社会の電力需要のピークよりも幾分余裕を見越した発電能力を持っている筈です。しかし今回の事故で余裕が無くなった訳です。だとすると日常、電力需要を上回って発電した余裕分はどうなるのでしょうか。
 深夜などは電力需要が少なくなりますから発電能力との差は非常に大きくなる筈です。そう考えると電力会社としては電力需要が最大になるピーク時に節電して貰えば発電所を減らすことも可能になります。
 一方、ピーク時以外は節電などしないで大いに電力を利用して貰う方が儲かるということになります。発電に伴う燃料コストの比率が小さい原発では尚のことです。

 原発事故のあと、メディアには電気について解説する番組が沢山ありました。特にNHKの解説委員をしていた池上さんの説明は単純化し過ぎるようにも思えましたが、私たちには分かり易かったのです。
 池上さんの説明でちょっと吃驚したことがあります。それは『電気は溜められない…』という説明でした。私たちは日常的に乾電池や自動車のバッテリーを使っています。つまり電気を溜めていると考えていました。でも池上さんによれば、電池は電気を一時的に化学変化に置き換えているのであり、電気を溜めている訳ではないというのです。

 更に「それなら巨大なバッテリーを造ればいいじゃないかという理屈になるかも知れないが、それがつまりは発電所なのです」といいます。巨大バッテリーと発電所は少し違うと思いましたが、水力発電所のひとつである〈揚水発電〉のようなイメージだと理解しました。
 発電能力の余裕がある夜間、昼間に落とした分の水を電力で高所にある水源へ戻しておくのです。電気を溜める代わりに高所へ水を溜めておき電力需要のピーク時に下にある発電所へ落とすのです。揚水発電所は巨大バッテリーと同じ機能になります。

 それにしても電気というものは常時需要を上回る分を捨て続ける宿命にあると今まで気付かなかったことが不甲斐ない思いです。捨て続ける電気の分も当然料金に含まれているのです。
 また電力需要のピークが尖っているほど年間を通じて発電のコストが高くなります。もし一時的なピークが低ければ、その分発電所を減らすことができます。つまり一時的な需要のピークの為だけに存在している発電所が沢山あることになります。

 私たちの暮らしは大きく電気に依存しているのですが、よく考えると電力会社の売り上げを伸ばすためのキャンペーンに協力した結果、依存度を上げている側面もあります。若くて奇麗なイメージキャラクターを使って、心地よいリズムで『快適な暮らしがそのままエコになる…』とオール電化をアピールしていましたが、あれは原発の危うい安全神話が前提でした。
 更に最近自動車会社がプラグインハイブリッド車やエンジンを使わず総てを電気で賄う電気自動車を提案しています。でも電気自動車は原発の存在なしには考えられないものです。
 火力発電所は発電コストに占める燃料の比率が高く、石油を燃料として発電し自動車を走らせるなら最初から石油を燃料とした自動車のほうが効率がいいからです。私たちは今以上に電力需要を増やす生活様式を取り入れないことが大切です。

 今後は日本でも世界でも自然現象を利用して発電ができる再生可能エネルギーへシフトしていく必要があると思います。現在はまだコストパフォーマンスが悪く、発電量が安定せず、発電能力が圧倒的に低いのですが、過去には太陽光発電も風力発電も地熱発電も社会で脚光を浴びる機会が殆どありませんでした。そのため研究者が育たなかったのです。
 今後は私たちの税金で原発の研究と同じか、それ以上にバックアップして研究者を育てて貰いたいのです。そうすれば、近い将来、再生可能エネルギーを取り出す技術が進み、弱点が克服されると『想定』されます。再生可能エネルギーには核燃料のように長い年月にわたって人や動植物にとって危険で厄介な廃棄物は排出されません。

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