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ていいちOTP

  退職してから朝のテレビ小説を見ることが多くなりました。妻が見るのに付き合ってしまうのです。今は《おひさま》です。この作品に映し出されるレトロな映像が懐かしくなります。
 私が物心ついたのは戦後数年してからですが、その頃の街の記憶と同じ風景に見えます。また最初のテーマ曲の旋律が素晴らしいのです。時代考証がしてあるでしょうけれど、時々“そりゃぁないだろう”という表現もありますが目障りでなく“お愛嬌”です。余りにも昔どおりでは視聴者がしんどくなるので丁度いいのです。
 陽子という主人公の今(2011,4,4〜10,1)の姿を演じている若尾文子さんが物語を近隣の若い主婦に話して聞かせるという設定になっていて、突然今の陽子と近隣の主婦役の斎藤由貴さんの場面に変わるのが唐突で、斎藤由貴さんの演技がわざとらしく見苦しいのですが演出には勿論それなりの意図があるのでしょう。

 先日、若尾文子さんの台詞に次のようなものがありました。
 「…歴史的には間違っているということになるのだろうけど、茂樹兄さんのような純粋な気持ちで家族や国を思って死んでいった人を……誇りに思うわ。尊いことだと思うわ。…」
 主人公の兄の茂樹は海軍飛行予科練習生となり少年航空隊員として戦地に赴くにあたって、苦しみや怖さ秘めている情景が描かれています。詳しい知識がありませんが、きっと私が生を受けた頃から大勢の優秀な少年が同じ生き方をしたのでしょう。朝ドラで描かれていることとその当時同じ立場にあった人の環境とは隔たりがあるに違いありませんが、それでも十分登場人物に感情移入することができます。若尾文子さんの台詞に違和感を覚えることはありませんでした。

 しかしつい最近まで第二次大戦中の日本のあり方について肯定的に考えることはなかったのです。それはきっと戦後6年目に小学生になった私は、戦前から180度裏返った価値観のもとで教えられたからです。戦前のコミュニティ優先、社会優先の全体主義の価値観のもと、個人の権利・命までも否定した思想から、一転して戦後の民主的な価値観に変わったと想像できます。
 朝ドラの若尾文子さんの台詞で思い出したのは、日本の戦争末期の特攻隊についての考え方でした。高校生だったある夏の日、叔母の家でそれが話題になり怒られたことがあります。戦後15・6年ですから大人には特攻隊の記憶はまだ生々しかったのでしょう。私は
 「特攻隊なんてばかばかしい…」と口にしました。物心ついた時には既に戦後数年経っていて学校でも社会でも戦前の思想は否定されていました。
 私が特攻隊を否定する発言をしたあと、いつも優しい態度でいた叔母が急に色をなして私を叱ったのでした。そして
 「今の教育はどこかおかしいところがある。終戦の日だって涙が出たよ。あんなに皆が頑張ったのに負けたんだから…」
 叔母は戦後胸の内に仕舞いこんでいたことがあったのでした。終戦の年に18歳だった叔母の年代の人たちは軍国主義の色彩が最も濃い社会に多感な時代を過ごした。反面、戦場の悲惨を経験しないまま終戦を迎える人が多かったのかも知れません。
 学生時代ある教授が
「多感な時代に軍国主義に染まり、戦場へ行く手前で終戦を迎えた年代に反動的な思想を持ち続けている人の割合が多い…」と教えていたことを覚えています。叔母は未だ家庭を持っていず京都で生活していたため空襲された経験もなかったに違いありません。

 叔母に叱られたあと数年して、少し考えを改め軽々しく口にした自分の言葉を叔母の前で訂正しました。
「特攻隊の人たちは可哀そうだったんだ…」それを聞いて叔母は暫く黙り込んだあと、唸るように「まだ足りないなぁ」と言いました。叔母はきっと終戦間際に命をかけた決死隊の人たちと変わらない年代であり『可哀そう』という評価はむしろ否定的で惨めに聞こえたに違いありません。

 そんな昔の思い出があったのですが、先日の朝ドラを見ていて、これまで心の中にあった得体の知れないすっきりしないものがはっきり見えた気がしました。現在の陽子である若尾文子さんが
「…歴史的には間違っているということになるのだろうけど…」と言いました。歴史的には個人の命を軽々にして無謀で勝ち目のない特攻をやるなんて間違っていたかも知れないが、という意味です。それでも主人公の兄の茂樹さんが純粋に家族を思い社会を想い国を想って命を賭する行為を誇りに思い崇高なことだと思うというのです。涙を誘われる場面でもありました。
 私が気付いたのは「歴史的には…」の対になるものは何だろうということでした。それは「個人的には…」であるに違いありません。人間が生きてゆく信条、個人的哲学は誰でも持っています。日常、意識に上らなくとも自分の人生哲学を持たない人はいません。人はそれなしには生き続けることができません。
 一方グローバルに考えた国家としてのあり方や進路は信条や哲学とは称しませんが同質のものと考えられます。

 おそらく戦前が手の平を返したような急ごしらえの〈民主主義〉的教育方針に戸惑いながら教えてくれた先生たちの言葉からしか想像できないのですが、戦前の日本については、グローバルな視点でいえば、国民が誇れる国ではなかったという思いがあります。しかしそれはあくまで個人としての日本人への思いではありません。
 だから戦前の日本が目指したものがグローバルな視点から芳しいものでなかったとしても、朝ドラのヒロインの茂樹兄さんが国を思って命を賭した行為は崇高なものに違いないのです。

 個々の国の事情を勘案しなければならないのは勿論ですが、グローバルな国家のあるべき姿と個々人の信条・哲学とは次元が異なっています。
「それとこれとは話が別…」という表現をしますが、次元が違うとは「話がまったく別…」ということです。特攻で命を散らすことを馬鹿なことと評したのは不遜で思慮が足りなかったと思います。しかし次元の違う『感想』でもあったのです。
 ただ社会を形作っているのは個人ですから、個人の信条・哲学と国家や社会の進むべき道とを峻別するのが難しい場面もあります。同時多発テロ以来耳目を集めている自爆テロは好例です。テロを実行する若者は『聖戦』の殉教者として死を賭しています。日本の特攻顔負けではないかと思われる自爆テロも2つの次元から見れば、それぞれまったく異なる評価が可能です。 
 
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