10 生き甲斐

ていいちOTP

   私は戦後と同い年です。終戦の半年前に生まれました。だから物心ついたとき最もモノのない時代でした。そして現在は最もモノがある時代です。私たちの世代は特別な世代だと言えます。物心ついたときに物資欠乏の真っただ中であった筈ですがモノがなくて困るとは感じなかったのです。モノがある時代を知らなかったからです。
 私たちの世代は現在のようにモノがあるのが当たり前の時代でも、当たり前だと思わず大いに恵まれた時代だと感じることができます。でも今の日本を支えている人たちは生を受けた時すでに豊かな時代でした。豊かな時代に育つことができて lucky である筈ですが lucky とは感じないでしょう。豊かでない時代を知らないから無理もありません。

 高校時代は日本の高度成長期の直前・或いは突入したばかりでした。私立の学校でしたので教師たちは進学実績を作ろうと躍起になっていました。進学クラスの生徒に「理科系の大学・学部への進学を目指せ」と指導しました。理科系こそが進学実績であり文化系の学部はランクがずっと落ちてしまうという雰囲気でした。
 思えば昭和30年代のあの頃、家電が殆どありませんでした。洗濯機がありません。炊飯器がありません。掃除機がありません。クルマがありません。白黒テレビさえありませんでした。エアコンもありません。新幹線もありません。原子力発電所はないと同じでした。パソコン・携帯電話は勿論ありませんでした。他にもたくさん思いつきます。現在と比べれば無いものだらけの環境で日々過ごしていたのです。もう一つ思い出しました。当時は医療で私の嫌いな「点滴」がありませんでした。きっと終末期でもスパゲッティ症候群?にはならなかったでしょう。

 工業製品が殆どない時代でしたが不満だったわけではありません。“ある”ことを知らないだけではなく、近い将来夢や希望が叶う可能性があったからです。必ずという訳じゃなくとも希望を抱いていたからです。そういう社会的背景もあって教師たちは理科系を目指せと叱咤激励しました。そして工学部は理科系のシンボルでした。工学部を卒業した多くの技術者が新製品を次々と生みだしました。
 あれから数十年もの間どんどん物が豊かになり生活は便利になってきました。私たちは十分な物に恵まれて足りないものを思い付かなくなるほど満たされたのです。そして同時に夢や希望が萎んだと思います。明日こそ!という思いが生きるエネルギーを生み出していましたが、現在は明日を思わずとも今のままで困らなくなりました。
 『明日こそ…』という夢を持つ必要がなくなった私たちは生きるエネルギーの源を意識して他に探さなければいけないのでしょうか。今、工業製品は既存のものにちょっぴり付加価値をつけたものが新製品としてデビューすることが多くなりました。そして僅かの付加価値を強調するために大袈裟なCM が流されています。

 学生だった頃、楽しみは数少なかったのですが、ハイキングはとても楽しいイベントで比較的手軽なレクリェーションでした。ハイキングは靴とリュックのほか僅かのものを準備すれば楽しむことができました。山を登ったり、青空のもとで丘を歩いたりすると開放感に満たされました。また本を読むことも楽しいことでした。読書はいつの時代でも手軽に場所を選ばず楽しむことができ、あまりお金がかかりません。そして僅かな集中力さえあれば、ドラエモンの〈どこでもドア〉のように時空を超えて四次元の世界に遊ぶことができる素晴らしい遊びなのです。
 読書といっても堅苦しいものでなく楽に親しめる本を読むのです。当然漫画であってもよいのです。中でも手塚治虫の漫画は楽しく読んでいるうちに人生の大切な哲学が描かれていることに気付く作品が多くあります。また哲学なんていらない。アッハッハと笑うことができればいいというのも勿論“あり”です。

 ハイキングと読書は少し違いがありますが、どちらも爽快な気持ちになり充実感を得ることができるものです。そしてどちらも物質的なものを離れて夢や希望を抱くことができる時間の使い方です。
 私たちは生き甲斐があるとかないとか口にすることがあります。生き甲斐というのはおそらく“今日一日生きていてよかった”と感じることです。“明日も生きていこう”と感じることです。それは言葉を換えれば《何の為に生きているのか》という問いに対する答えであり、その答えを自分が持っているということなのです。現在のように物質的に飽和している社会では 《 何 》 をモノ以外に見出すことができるかどうかで幸せになれるかどうかが決まるのではないかと思います。  
 
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