新聞に三条市の本成寺の鬼踊りの記事がありました。伝統ある行事です。同じように鬼が現れる行事はあちこちに有るようですが有名なものに男鹿のなまはげがあります。
 これは大晦日の夜に鬼が現れます。どちらの鬼も幼い子供にかまって近付きます。すると殆どの場合子供は恐怖で泣きだします。ある程度の年齢になると人間が被り物を着ていると解りますから面白がりこそしても泣いたりしません。
 それにしても幼くわけの分からない子供を嚇す理由が分かりません。『泣く子はいねえか!怠けている子はいねえか!』みたいなことを鬼が口走りますが、そんなことを考えたこともない幼い子供はただ怖いだけです。幼く大人の優しさに育まれてこそ情緒が育つ幼児に鬼が恐怖心を与えてどういう意図があるのでしょう?鬼が出現する行事は面白いですが幼児を泣かせるのは大人の、“たちの悪い自己満足”です。自分の幼い子供を鬼を近づけて子供が恐怖で泣き叫んでいるのを見て喜んでいる親の気が知れません。

 〈食中毒のいま昔〉という記事が新聞に有りました。それによると、腐ったものを食べて食中毒になったというのは間違いとか。食中毒は、サルモネラや病原性大腸菌のような特定の微生物が増殖したり毒素を作りだしたりしてその微生物特有の症状を引き起こすものだそうです。その特定の微生物の場合、腐敗まで行かなくても発症するらしいです。逆に特定の微生物(細菌)でなければ腐敗臭がする程で食べても普通は下痢・嘔吐などの症状は出ないのだとか。
 腐ったものを食べても元気な体なら問題ないという訳ですから変な臭いがしなければ消費期限など無視しても大丈夫。まして賞味期限などなお無視しても大丈夫ですね。
 そういえば思い出しました。NHKの〈ガッテン〉で発酵を取り上げていた際『人間にとって都合の悪いものを腐敗と呼び都合の良いものを発酵と呼んでいます』とアナウンサーが補足していました。“なるほど”です。

            終末の ドラマ重くも じっと観て なお我がことと 思えぬままに

ていいちOTP

 韓国で医師不足対策として医学部の定員を2000人増やすという政府の方針に対して研修医が集団で辞表を出したとか。理由は医師の質の低下を招く…です。どんな部門でも定員を増やすと質の低下を招くというのは事実です。韓国でも日本でも同じでしょうけれど学業成績の最上位にある人が医学部に入学している感じがします。近年ではず~とそんな感じです。
 でも定員を増やすと質が低下する…、どんな質かな?と思います。高校までの学業成績ですね。医学部は偏差値トップの僅かな人しか入学できない…患者は先生に必ずしも偏差値トップの人を求めていないのじゃ?偏差値トップじゃなく“次点”だと駄目でしょうか?偏差値トップじゃないと医学部の勉強に付いていけない?きっとそうじゃないでしょう。
 偏差値トップの人は子供の頃から勉強がよくでき、大人に叱られることなど無く、勉強以外の辛い経験などほぼ無い人が多いのじゃないかと想像したりします。まぁ偏差値が低かったものの僻みかも知れませんが。

 以前からドラマなどの場面で懸念していることがあります。喧嘩などで倒れた相手を足蹴にする場面です。相手の腹や胸などを手加減なしに蹴られれば、ほぼ命を落とすのじゃないか?そんな懸念です。ドラマですから蹴られた方も次の場面で普通に登場します。
 昔と違って子供たちには安全が優先され“痛い目に遭う”経験をしない環境で大人になる場合が殆どだと思います。物理的にも精神的にも痛い目に遭う機会が殆ど無く大人になった人がドラマの暴力場面を見れば、あんなに蹴られてもダメージは少ないと勘違いするのではと思ってしまいます。なぜあのような場面が必要なのでしょう?観るに堪えない思いです。

            邪気のない 澄んだ瞳に 射貫かれば つい顔緩み 抱き寄せたくて
(2023/11/29)
 言葉からイメージするものは人によって違うでしょうか?今では殆どいないかも知れませんが“半導体”という言葉でイメーズするのはダイオード&トランジスタで電圧(電流?)によって通電したり絶縁したりという性質があるので半導体と称されていました。
 でも現在“半導体”というのはトランジスタほかを集積した回路を小さなモジュールとし、それを基盤の上に抵抗・コンデンサなどと組み合わせたものを称しているようです。イチケンさんのサイトで、彼は「…億ものトランジスタ…」がひとつの集積回路に組み込まれていると説明しています。
 どうしてそんなほぼ完成した回路を半導体と称しているのか不思議です。

 もう一つ“母”も理解が難しいイメージです。ず~と昔から母というのは子供に優しく慈しんでくれるイメージでした。でも近年では子供を虐め殺すという事件が報道されています。ドラマでは殆ど昔ながらの優しい“お母さん”が描かれていますが、それはドラマならではのようです。
 ラジオでテレホン人生相談を聴いています。意外にも毒親としての母親についての相談が多いのです。世間では優しい母親が多いのでしょう。でも毒親も珍しくないようです。
 言葉とイメージの繋がりを固定したものと考えない方が良さそうです。

            デジタルが 必需の世界 怖くあり 中身覗けば 1と0なり
 驚くようなニュースが目白押しです。
 30歳の男が知人の58歳の女性を道路に横たわった状態で置いてクルマに轢かせたという事件!今後警察が事情をはっきりさせるでしょうけれど、なぜそんなに酷い残酷なことができるのでしょうか。自分が痛い目に遭ったことがないのでしょうか?痛みを思い遣れないのは人格が壊れていますね。
 テレビでSNSの映像が紹介されましたがバイトの店員がピザの生地に鼻の穴に突っ込んだ指を擦り付けて得意になっていました。以前何処かの寿司店で同種のことが事件になり裁判で高額の賠償命令が出たのに…。なぜそんなに馬鹿なことが繰り返されるのでしょう?今回も法的措置をとって高額の賠償金を負担させるべきです。SNSで拡散させる重大性を認識しない馬鹿な若者はキッチリ対処すべきでしょう。
 もう一つ、中国では春節(旧正月とか)で大勢が日本へ来てくれ賑わっています。中国系の人たちで台湾や香港からも大勢が来てくれるようです。その人たちを目当てにしている商売にびっくりして口をあんぐりしました。
 築地市場の店ではカマトロ&6000円串に大行列とか串が1本5000円を超えるとか!
一昔と違ってYouTubeとかインスタグラムほかのSNSで拡散されると人々が殺到するんです。やっぱり“みんなが興味を示す”と、つまり有名な処へ自分も行きたくなるのですね。凄いですね。
人の多い処が苦手で穴場が好きなので理解しがたいです。

            美術館 絵に佇みて 呑まれそう 心洗われ ハンドル軽く
 我がセカンドカーの軽自動車(15年前の4速AT、今どき珍しい!)のバッテリーを交換しようかと考えていました。もう8年も使っています。3年前にサルフェーション対策部品を付けました。
 寒くなっても一応エンジンが掛りますがセルの回りが弱くなりました。替え時か?この冬を乗り切ればなんとか…。でももう一度車検をとるなら早めに?交換した方が良い?思えば8年って凄いです。
 コメリさんへ行くと7000円余りです。廃バッテリー無料引き取りです。長年ネット利用していますのでAmazonで見ると4000円余りもあります。そして廃バッテリー引き取り伝票というものが950円ほどで売られていました。つい両方を注文しました。そういえばこれ迄使っていたものもネットで買っています。

ネット通販は小口の宅配事業が支えています。Amazonでは一定以上の購入で配送料が無料です。宅配業者の方にしわ寄せがあるのでしょうか?
 ネット販売は実店舗を持つ経費が要らない?かなり以前ですが近隣の家電量販店でネットの値段を口にしたことがあります。店員の方は鼻で笑うようにしてネットなんか相手にしないという感じでした。でも今では変わっています。社会的には何が一番いいのか?…でも一般人にはやはりある程度の信頼性があれば値段が安い方がいいってなりますね。よい時代なのか、そのうち破綻するのか?ちょっと怖い感じもします。

            旅客機が 炎の中に まことかと 日本なのかと 正月二日
 新潟日報の日報抄に小津安二郎さんの言葉が載っていました。それは『何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う』です。流行に従うも道徳に従うも、なるほどと思いました。そして芸術のことは…は我が意を得たりと思いました。(道徳については時代背景が影響します)
 絵でも音楽でも映画でも作品が面白くないとか良いと思えないとか自分が大勢の他の人と感じ方が違う場合に、自分がおかしいのじゃないかと考える場合があります。でも自分の感性に響かない場合は間違いなく楽しくありませんし心豊かになりません。なので自分が好きだと思えるものを求めればよいのでしょう。芸術はそういうものでしょう。あくまで自分の感性を基準にすればよいのでしょう。勿論同時に自分以外の人の感性を尊重する姿勢を持ちたいものです。

 でも世の中には生活全般に他人の目を基準にする人もいます。自分の感性は別の処に有っても他人の目にどう映るかで行動を決める人です。暮らしの中では誰でも幾分かは周囲の目が気になるものです。そのほうが無難な場合が多いです。でも日々の暮らしの深い部分で周囲の人の思いが基準になっていては奥底の安らぎを求められないでしょう。重大なことを道徳に従うのもおぼつきません。まぁそれでも傍観するしかありません。
 そういう生き方をも尊重しなければ…いや縁者にいる場合は口に出さないまでも尊重はできません。

            ちょい山を 歩き登りて 爽やかに 小雪予報 続けと思う
 宝塚音楽学校のタカラジェンヌの飛び降り自殺が報道されています。加重な仕事量と上級生のいじめがあったと代理人の弁護士が話しています。真実ではないかも知れませんがどんなコミュニティにも、いつの時代にも残念ですがいじめはあるでしょう。
 誰にでも好きなひと苦手な人があります。好きな人と仲良くするのは殆ど努力が要りません。でもいろいろな意味で苦手な人と仲良くするのはとても努力が必要です。できればそんな努力をしたくないので仲良くなろうとしません。相手にとっては仲間外れです。気に入らない人があった場合こそ仲良くしなければいじめは無くなりません。
 また同じ物言いですが若い女性ばかり大勢で過ごし上下関係が厳しいらしい宝塚音楽学校では、きっと歴史的にも数々のいじめみたいな状況が繰り返されてきたのでしょう。自殺にまで追い込まれるのは数少なかったのかも。更に報道されるのは。

 大学などでも同じ構図が有りそうです。ただ、いじめに近いしごきを受けた下級生が上級生になった時、同じように下級生をしごいたりいじめたりするのか、或いは好きになれない下級生にも優しくできるのか、それがいじめへの鍵です。

 遠い処から眺めている者には自殺しなくてもその場から逃げればよいと、人生では逃げることも大切な選択肢だと思えるのですが当事者には逃げるという選択肢は霞んでしまうのでしょうね。

            廃校の 跡地に立ちて 恥ずかしく やみくもの我 遥かな空に

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 少し以前までは3月に入って、1週間あと迄、予報に雪マークが無ければ普通タイヤに交換したものですが、ここ数年は3月の半ばまでスタッドレスを付けたままのことが多くなりました。
 こちらでは例年3月10日前後に真冬が戻ってきたような降雪がありますが、そのあとはYahoo天気でも雪マークが消えてしまいます。
 昨日(3/11)ワゴンRのタイヤを交換しました。因みにタイヤ交換はDIYです。前輪を交換する時、ディスクパッドなど点検します。するとタイロッドエンドブーツからグリースが出てグジュグジュ状態!驚いて直ぐに掛かり付けの整備工場へ電話をしました。補修用のブーツは数種類用意があるようです。
 こうした修理費用は避けられず大事になる前に修理するのがベストです。でもうちの奥さんはガソリン代などの他はクルマに費用が掛かることが不満なようです。たび毎に説明するのですがストンと理解できないようです。
 考えてみればクルマの構造など興味がない人ですから説明しても無駄と諦めました。残念です。

 昔からクルマの整備を素人レベルですが楽しんできました。なので出費の頻度が多いですが総額は少ないです。高額でも2年に一度だと“クルマにお金がかかる”実感が薄いのでしょう。でも分かって貰えません。

            青空が 嬉し恨めし 杉林 花粉予報が 今日も真っ赤に
(2024/03/20)
(2024/03/13)
(2024/03/06)
 元TOKIOの山口達也さんのことが新聞に載っていました。自分のアルコール依存症に付いて、あるお寺で赤裸々にお話をしたとのことです。山口達也さんが自身の体験を大勢の前で話されることで再び同じ事々を繰り返さないように、また話を聴く人たちが他山の石としてくれるようにという願いが込められていると思います。
 山口達也さんの今後については神様しか分かりませんが大勢の前でお話をすることはとても々々素晴らしいと思うのです。
 そのお話の中でなるほどと胸にストンと落ちたことがあります。それは『他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ』というフレーズです。これは当然と言えば当然ですが、分かっていても、人は往々にして他人を変えようとしたり変えられる筈もない過去を悔やみ続けたりします。   でもこのフレーズを折に触れる毎に思い起こし明日以降の自分を見詰めるようにすれば少しずつ人生が変わっていくに違いないと、そんな風に思いました。

            重い雪 田畑望みて 白鳥の 数少な目も 春間近かと
(2024/02/28)
 先日(2024/02/20)、警察学校の警視正岩本幸一被告(58)が留置場内で自殺をしました。残念なことです。
 自分が警察官だと明かしたうえで不同意性交を犯しました。それもかなりの数とか報じられていました。岩本被告の家族の人たちの苦悩が計り知れません。警視正という階級は下の警察官にとって遥かな雲の上の存在ではないでしょうか。そんな人が極めて破廉恥な犯罪に染まっていたのです。 でもバレないという確信があったのでしょうか?バレてしまって、自殺したくなるだろうと思います。
 世の中には褒められたことでなく破廉恥なことであっても“犯罪”にはならないことが沢山あります。そういうことで我慢できなかったのでしょうか。

 現在の日本人の感覚では家族の人たちも、恥ずかしく肩身の狭いことになるうえ、定年退職でないため退職金も…いやこんな場合、懲戒免職なら退職金はゼロに…、はたまた被告ではあっても裁判ができず判決が出なければ自己都合での退職扱いになるのでしょうか?すると退職金は遺族に支払われるのでしょうか?まさか!それを見越して命を絶った?
 …そんな野次馬的な思いを巡らせてしまいました。たちが悪いかも知れません。

            誕生日 更に爺さん ちと無念 抗い祈る 筋トレ散歩
(2024/02/21)
(2024/02/14)
(2024/02/07)
 昨日(24/01/25)市から〈確定申告用納付済確認書〉というのが届きました。年金暮らしになって19年になりますが一月になると確定申告をしてきました。確定申告といっても還付申告です。ネットでの手続きは同じでしょうけれど。今年は医療費控除とトルコ大地震関連の寄附と我家の白アリ防除工事の控除を申告しました。
 国税庁のページに“確定申告コーナー”があり源泉徴収票などの数字を入力すると自動的に結果が表示されます。まぁ還付額はほんのちょっとで、お遊びみたいなものです。
 還付申告を始めた頃はIDを得たりPWが複数必要だったり、ちょっと面倒でしたがマイナンバーカードを使うようになってからはほぼ面倒がありません。マイナンバーカードは人によるでしょうけれど、この還付申告以外に使いませんでした。でも最近は病院などで保険証として使っています。平凡な人間にとっては他の人に知られて困る情報などほぼゼロですから心配していません。

 新聞の記事で麻生太郎さんが福岡県芦屋町で、外務大臣の上川陽子氏のことを“そんなに美しい方だとは思わない”とか“外交手腕は大したものだ”とか発言したと書かれていました。女性の容姿を云々する、特に公の場で批評するなんてもってのほかっていうことですが、麻生太郎さんは失言の王者ですから笑ってしまいました。
 男だから笑えるのでしょうか?でも女性の立場でも誰かを“すごいいい男だ”とか“イケメンだね”とか口にしますよね。持って生まれた容姿を変えることはできません。ただその人の内面、心の中、振る舞いが優しいか或いはジコチュウか、それが親しくなったあと長期的に大切なことです。…残念ながら人の感覚としてはきれいな人、イケメンに惹かれるのは仕方ありませんね。ただ表面的ですね。
 最近ネットでメイクのビフォーアフターを見ることがあります。そのアフターは誰もみんな同じような“美人”になっています。あれを見ると美人も半分は嘘っぽく思えてしまいます。…お前の感想なんかどうでもいいだろう…って?その通りですが…。

             齢経て ルーティンの日々 有り難く 数多の岐路が 思い返さる
(2024/01/31)
 〈所さんの目がテン〉という番組で里山を整備して森の中に野鳥の住処を作ったり農業高校の裏山に田を作って稲を育てたりする企画がオンエアされています。
 すると其処にはそれまでいなかったフクロウや昆虫なども生息するようになります。そんな多様な生物が生息するようになると“自然が戻ってきました”とゲストの偉い学者などが感嘆します。
 そんな時、いつも思うのです。人が手を加えて自然が戻るって、とてもおかしい?自然って自然に任せることじゃないのでしょうか。人の手が加われば自然じゃなく人に都合の良い環境を“作っている”わけです。

遥かなる少年時代に琵琶湖の西にある比良山へ登っていました。森の中の登山道を独りで歩くことが多かったのですが遠くに美しく整備された建物が見え森が切り開かれていると“自然破壊”だなどと理性的に考えていました。
 でも次第に考えが変わるのに気付きました。それは考えというより感覚です。理性でなく感情です。人の手が加えられたその環境が素敵だと、良いなぁと感じている自分を認めるようになりました。それは決して自然の素晴らしさというものではありません。

 ここ新発田では例年になく暖かい陽気です。23日後半から25日頃まで強い冬型が戻る予報です。雪の量が多くないことを願う毎日です。

               青空に 雪路ひかる 森歩き 健康こそと 空気味わう
(2024/01/24)
(2024/01/17)
(2024/01/10)
 近年は業務スーパーという大型スーパーが出現しました。業務スーパーといっても庶民が買い物に行ける店です。勿論業務と名がつかない大型店舗が複数あります。クルマ社会ですから多少距離があっても出掛けます。店内では溢れるような野菜・果物・肉・魚・ほかの食材があります。
 近年“ヘルシーな食べ物”が喜ばれますが、その概念はカロリーがないことです。でも幼児の頃の記憶を辿れば嘆息しないではいられません。そんな大昔のこと…ヘルシーとは健康に良いという意味です。半世紀を超える昔、敗戦後10年を超えても健康に良いとは栄養があることでした。カロリーがあることも間違いなく“栄養がある”ことでした。
 20歳の頃アメリカの球団が日本へやって来て試合をすると巨人だってぼろ負け!体格の違いが大きかったからだと思います。大谷翔平のような体格の日本人なんて皆無でした。
 いつ頃からヘルシー(健康に良い)がカロリーがない食べ物になったのでしょう?ややもするとヘルシーが栄養がないことと誤解されたり…。心配です。

 新聞にも巷にも『子供は○○の宝』という表現が出てきます。少年だった頃は、自分が大人にとって大切な宝物だと言われて悪い気はしませんでした。社会人になると仕事に精いっぱいで考えることもなくなりました。物理的に時間があっても精神的な余裕が無かった?
 最近思います。大人が『子供は○○の宝』という時、地域のとか国の宝、言い換えれば大人に利益をもたらす存在という意味なのです。ひとりの人間として自由に選択できる未来がある筈の子供だという考え方と深い処でかなり矛盾しています。まぁ地域・県・国、更には世界に羽ばたいてもグローバルに人間の幸せに貢献するなら『子供は○○の宝』ということになりますが、それでも大人のエゴに包まれた子供への姿勢じゃないのかと思ってしまいます。

            ねこ歩き つい顔緩み 温もりて 我が愛猫に 言い訳思う
(2024/01/03)
 2年前にDELLのinspiron3881というパソコンに買い換えWindows10をそれまで使っていた8.1と同じ使い勝手に設定するのにかなり手間取りました。最近Windows11を無償でアップグレードできるというので気にかけていましたが同じ使い勝手に設定するのが億劫でした。検索すると或いは設定を引き継げるかもと思いアップグレードするべくポチッとしました。
 そして暫く待っていると無事に…、なんと設定は99%(今のところそんな感じ)引き継がれています。ただタスクバーのアイコンがディスプレイの中央へ移動したことでWindows11にアップグレードしたと分かるのです。アカウントもローカルアカウントのまま、自宅なのでパソコンONの際パスワード無しという設定もそのまま!あっけない程です。

 MicrosoftOffice2016を5年近く使ってきましたが新しいバージョンにしたくなりました。買取型の正規品は¥35000前後します。でも検索すると¥980でプロダクトキー販売しています。これは事業所向けに大量販売されたものらしいです。
 調べると違法なものではなくOfficeソフトそのものはMicrosoftからダウンロードするので正規販売と同じです。ただ使い初めに1度だけアクチベーション(認証)をしないと使い続けられないとか。これはネットに繋ぎながら電話の自動音声で…少し面倒ですが難しくはありません。…めでたくOffice2021Professional Plusが利用できるようになりました。尤も使うのはwordとExcelだけです。因みにOfficeの値段は国によって大きく違っています。日本は一番高価だとか?なぜ?…日本ではパソコン購入時に一緒に入っているofficeを使うのが大多数なのがその理由とか。

            ダンプ持ち 膝上までの 雪運ぶ 流雪溝が 頼みの綱と
(2023/12/27)
 テレビでも新聞でもCMでは話題の俳優さんが出演することが多いです。有名な人なら、あぁあの人って一般の人じゃないと思って見ています。
 ある日の新聞に帽子の広告が載りました。小顔に見える帽子とか、帽子を被っている人はきれいな女性です。モデルさんだと理解する前にあまり見ない顔だと“普通の”人かなぁと勘違いしたり…。

 きれいな格好良い人が身に付けていると素敵な商品に見えます。同じものを平均的なおばさんが身に付けている写真と比べると売れ行きに少なからず差が出るかも知れません。皮肉な見方をすると、売る方は商品を良く見せる為にきれいなモデルさんを使うのですから、ある意味商品を優良誤認させているとも考えられます。まさか公正取引委員会が気に留めるとも思いませんが、優良誤認の要素は間違いなくありだと思うのです。そんなことをちょっと考えたりしました。

 もうかなり新型コロナ禍も下火になったような気がします。地方都市(田舎町と言いたくありません)と大都会では事情が違うかも知れませんが、それでも大型店舗などではマスク姿が多いですね。医療機関では『マスクをお願い…』と書かれています。完全マスク無しになるのはいつでしょう?

            雪降りて ワイパー上げて 雪払う 小雪なれと 空に向かいて
(2023/12/20)
 テレビのトーク番組などを観ていますと「僕は勉強が嫌いでした…」という人が時々現れます。司会のアナウンサーなどは東大などの卒業で偏差値が高いのです。…で、お話の中でゲストがあれこれと得意分野での業績や研究を紹介していくとMCが「…勉強、お好きじゃないですか!」と口にすることがあります。得意分野での知識を求めるのといわゆる偏差値との違いは明瞭で誰もが認識しています。

 遥かな高校時代、数学が駄目でした。ホントに全然分からず、当然面白くなかったです。高校までは全教科の単位が揃わずには卒業できない建前です。でも卒業できたのです。数学の先生がほぼ一桁の成績を書き換えて下さった筈です。今にして思えば教科ごとの成績に凹凸がある人は結構いるのかもです。そんな人は進級や卒業の際成績を書き換えて貰っているのでしょう。
 偏差値が駄目でも後年人々の生活に大きく貢献している人も大勢いる筈です。ただ偏差値が低かったことが長い人生の劣等感になることも…。
 
 でも最近は偏差値が高い人が必ずしも幸せになるとは限らないですね。終身雇用が一般的だった昔とは違っています。更に正規雇用採用の幅が少なくなりました。日本の社会全体が“変にアメリカナイズ”しました。安定・安心の職場にいる人は幸せでしょう。

            Officeを ネット購入 格安も 不安と期待 脳トレなりと
(2023/12/13)
 ラジオでテレホン人生相談を聴いています。先日の番組で『(母親が)娘の自分が幸せになると不愉快になり腹立たしく感じているのではないかと思って辛い』という相談がありました。 一般的にはそんな母親なんているのか?という話です。
 玉置妙憂さんが相談員の三石由起子さんにふると、いつものようにポンポンとバッサリした回答をしました。
 曰く『45歳にもなって…』その回答は一般的な母親のあり様を基本として少し幅のあるイメージを基にしていました。でも自分の子供が幸せになると不愉快になる母親というのを知っています。母という一般的なイメージと大きく違う女性も少数ながら確かに存在しています。それを無視した回答を聴いて不愉快になりました。
 例え三石由紀子氏が強い人ゆえの回答だったとしても受け入れ難いものでした。結論が同じでも、もっと相談者の悲しみに寄り添って欲しいものです。

 今年はもう冬が間近です。数日前屋根を打つ音が大きく驚いて道路を見ますと大粒の霰が混じった雪です。未だ積もるまでは降りませんが屋根の雪が落ちる処では明くる日の昼まで白く残りました。今年は秋が短くて残念です。

            雷鳴で ミミ怯えおり 物陰に 屋根打つ音で 銀世界なり
(2023/12/06)
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