連日メディアの報道にスポーツ界のの体罰に関するニュースが躍っています。しかし、おそらくほとんどの日本人(中高年?)には、日本のスポーツ界では体罰が常識だった(過去?)のではないでしょうか。体罰で根性を入れる、体罰がなきゃ選手がだらける…。オレだって昔は…。というのが普通だったと思います。
 日本人は“懸命に”というのが大好きです。そして一番も好きです。日本一、世界一、その昔は東洋一というのもあったそうです。日本は狭い国で資源もなく諸外国と対抗するには、どうしても“必死に懸命に”ならざるを得なかったのでしょうか?
 諸々の学問的研究成果をあげるような場では体罰が入り込む余地がないようですが、スポーツ界には体罰がドッカリ腰を据えてしまったのでしょうか。
 そういえばつい最近?まで〈スポ根〉物語が盛んでした。もう少し気を楽にもてないものでしょうか。“懸命に”という価値観が世界一では決してありません。でも「オマエのような奴が日本を駄目にする」って声が聞こえてきそうですね。
 ワタクシゴトですが…、先日 最高級品 を手に入れました。といってもささやかですが…。東プレのこのキーボ−ド(静電容量無接点式)です。使い心地は…まだ慣れません。
(2013/02/03 )
 1月も残り少なくなってきました。2月の下旬に入るまで“真冬”を我慢するしかありません。でも口にするほど辛くはありません。気侭な暮らしをしているから…ばかりでもありません。
 大阪市の体罰自殺が日本中に波紋を広げています。市長の橋本さんのやり方については否定的な意見が多いようですが…亡くなった生徒さんは社会的な波紋が大きいほど喜んでいると思うのです。大勢の人々に指導者がどうあるべきかを考えさせることになるからです。
 それにしても生徒が自殺するほど追い詰められているのに体罰を手加減できなかった指導者の力量っていったい何なのでしょう。
 以前、いじめについて新聞に投稿したことがありました。いじめが辛くて堪えられないなら、逃げればよい。人生、立ち向かうばかりが全てでなく、逃げることも大切な選択肢だと主張しました。しかしそれにはすぐに反論が載りました。日本では未だに精神論が幅を利かせています。
 昔、よく知っている体育系の人が言いました。
「外国のチームは楽しんで試合をしているように見える。日本人は必死でやっている。余裕のない日本のチームが、楽しんでやっているチームに勝てるわけがないよ」
 その通りだと思いました。日本人にとってスポーツはある種の『苦行』なのでしょうか。明日もまたやりたくなるような楽しい指導ではいけないのでしょうか。「それでは強くなれないゾッ」っていう声が聞こえてきそうです。でもみんなが強くならなくてもいいのじゃないかって思います。強くならなくてもよく、部活の目標に合わない人は退部すればいいと思うのです。
「そんなことじゃ皆が辞めてしまってクラブ活動が成り立たないゾッ」って?それは初めっから成り立たないものを無理していただけなんです。
 私は考えます。“苦しい練習に堪えたあとだからこそ”報いの蜜の味が素晴らしいのだというのはとても変です。“楽しく練習したあとでも”穏やかな充実感がある筈です。まぁ人生観の違いですが、私は“懸命に”というのが苦手です。怠け者なのかも知れません。
(2013/01/27 )

ていいちOTP

 生活保護についていろいろな論議があります。不正受給があること、逆に受給できれば助かった命があること、最低賃金よりも生活保護費の方が水準が上であること、生活保護受給者は医療費の一部負担が無いこと…
 最近メディアで取り上げられる機会が増えたことで人々の関心が高まったという一面もあり、小泉首相時代の“自由に”“自己責任で”という施策により貧しい人が増えたという一面もあります。自由と責任は個人に対しては democracy の基本ですが、行政としてはどうでしょう。行政が 『democracy は自由と責任だ!自由と責任を自覚して勝手にやれ!規制もとっぱらうゾ』ではいけません。
 もうひとつ受給者の数が増えた理由は『生活保護は“権利”だ』とという“居直り”だと思います。生活保護受給は恥ずかしいという“感覚”が必要と思います。生存権の一つですが“恥ずかしさを伴う権利”だと思うのです。厳しい発言かも知れませんが生活水準を云々する際に《過去の生活レベル》が抜け落ちているのが気になるのです。
 人々は“自分の力で生きる”ために、子供の頃から勉強など好きでもなくても大人になったときのことを考えて過ごしたのです。職を得てからも老年になったときに備えて浪費を抑えて過ごしたのです。ですから生活保護を求める人たちは過去にどんな暮らしをしてきたのだと言いたくなります。(真面目に将来を思いつつ過ごしてきても困窮している方々には暴言になります。ごめんなさい)
 もう一つ、最近 『生活保護受給者は原則的にジェネリック医薬品を…』 というのがあります。ジェネリック医薬品は“同じ薬効”で価格が安い薬です。
 新薬の特許有効期間?は10年です。10年間は独占的に利益を得ることができます。11年目から他の医薬品メーカーが同じ薬を製造販売してもよいわけです。開発のための初期投資が要らないのでコストを低く抑えられます。勿論商品名は別なものになります。
 そんな薬ですから、みんなが廉い薬を使えばいいと思います。どうして生活保護受給者だけが原則的に…なのでしょうか?それはジェネリック医薬品の処方を進めるための方便だと思います。実はジェネリック医薬品を好ましく考えていない医師が多いのです。医師は有効成分が同じでも添加物が違うといいます。例えば錠剤にするとき、有効成分だけでは嵩が足りない場合に増量しなければいけません。この増量剤が違うというのです。
 しかし医師がジェネリック医薬品をよく思わないのは別の理由があるかも知れません。私の親族に薬品会社のプロパーをしていた人がいます。薬品会社は自社の医薬品を医師に処方してもらうために病院を熱心に回って医師と顔見知りになります。自社の薬品を一定量採用して貰うと医師や病院へ?かなりの“景品”を置きました。その昔は景品がクルマだったこともあるそうです。(未だ日本ではクルマが黎明期だった頃です)
 医師にとっては、それほど熱心にコンタクトをとっていた薬品会社の製品を、ただ真似して作ったジェネリック医薬品が狡いものだと感じるのかも知れません。勿論社会的に、法的に、狡くはありません。
 健康保険システムが財政的に厳しくなり、万一破たんすれば(その前に国全体がおかしくなるでしょうけれど…)保険が効かず窓口負担は100%となり、医者にかかる人が激減するでしょう。そうなれば病院の経営も破綻すると予想できます。そう考えればジェネリック医薬品を積極的に処方して今後とも増大する社会の医療費を抑える必要があると思うのです。
(2012/12/01 )

space

 先週はしつこい風邪がとりついてしまい、難儀しました。そのうち治ってくれることを期待して通院をしないでいましたが、インフルエンザの場合“無治療”で症状が治ってもウィルスを大量にまき散らすと書かれているのを読んで通院しました。イナビルという吸入式の薬剤です。医院で吸入一回でインフルエンザとしての治療は完了します。ビックリです。効果はてきめんでした。モットハヤク、ツウイン、スレバヨカッタ.
 先週は驚きのニュースがありました。中国の“軍用艦”が日本の軍用艦に対して短距離ミサイル?を発射するための対象固定?のレーダーを照射したという事件です。(よく分らないので?がついています)中国の外務省報道官?はニュースで初めて知ったと言っていますが、あの国は civilian control が効かないのでしょうか?(その後のニュースでは日本でも首相の耳に届いたのは6日目だったそうです。 civilian control については日本でも同様のようです)
 尖閣問題は日中間では決して譲れない事案ですが、安全保障条約を結んでいるアメリカも中国とコトを構えたくないのでしょうから面倒です。中国には経済的に多くの国が関わっていますから“喧嘩”をしてもあまり得をしないでしょう。
 今回のレーダー事件といい、都市部のスモッグの映像といい、どうもバランスを欠いたところのある国だといえそうです。あの国は面積でも人口でも巨大すぎて「大男、総身に知恵が、回りかね」状態なのかも知れませんね。日本も低賃金だけが頼りの made in china シフトを考えたほうがよさそうですね。
 ただ、現在でも中国の人が低い賃金で働いてくれることで廉いものを購入することができているという事実も決して忘れてはいけないと思います。つまりmade in china シフトを考えなおすということは私たちの身の回りにあるモノをスリムにするか、今までよりも多くの支出をするかを選択しなければいけません。
(2013/02/10)
 1月の下旬に入ろうとしています。新潟ではこれから約3週間ほどの間に最も降雪量が多くなるといわれています。例年のことです。(年によってはそれ程降らないことも…)昨日未明に道路側の窓のスクリーンを開けると一面真っ白です。積雪量は多くないので、そばにある街灯の明かりを見ると細かい粉雪が横殴りに降っているのが分かりました。新潟の面目躍如とした光景です。
 先日首都圏や横浜にも驚くほどの降雪が見られました。『爆弾低気圧』がやって来たのです。息子のお嫁さんが撮影して画像をメール添付してくれました。積雪量は10cmには届かない風に見えたのですが路面は圧雪になっていました。驚いたことに圧雪のある道路をたくさんのクルマが走っているのです。おそらく雪タイヤのクルマはいないでしょうに…。雪国の人なら、あんなに雪のある道なら普通タイヤでは走らないでしょう。あちこちで事故が発生したそうです。(でも明くる日にはウソのように晴れたそうです)
 『越後の冬は鉛色の重い空、くる日もくる日も降り積もる雪を除けながら、じっと春がくるのを待っている』というと雪のない地方の人は「そうだろうなぁ、暗いなぁ…」と、すぐに頷くでしょうね。でもかなり違います。豪雪の時期に全国へ流れるニュースで紹介している山沿いの地方はあの映像のとおりですが、幸いにも山から離れている処では余裕があります。
 私は今の時期でも、空が鉛色だと感じたことはありません。雪が積もると夜でも外がフンワリと明るくなります。そして雲の切れ目から月が覗いたりすると辺り一面がメルヘンの世界のように…。そんな風に見えるときがあります。積雪も適度なら(そう…適度なら)運動不足になりがちな冬には雪除けが良い運動と思える日が多いです。まぁこの辺りはその程度の積雪量で“恵まれて”います。雪の多い地域の方々に怒られそうなのでもうやめます。

(2013/01/20 )
 最近、BS放送の午後の時間帯に、遥かなる時代の洋画をオンエアしています。映画の題名を見ただけで昔の記憶が戻ってきて懐かしい気持ちになります。
先日、〈ガン、ファイター〉という懐かしい映画を録画して鑑賞しました。52年前に作られた作品です。原題は〈The Last Sunset〉です。西部劇になっていますがストーリーがよくできていてたくさんの見せ場があります。カークダグラスとキャロルリンレイが出演しています。
 高校生のとき観たのですがロマンティシズムに溢れたテーマで、とても感動したのです。今回も期待しました。今度はBDディスクにダビングしておこうとも思っていました。……ところが昔の記憶とだいぶ違っています。輝くような美しさだと思ったキャロルリンレイは余りに子供っぽく、主役のカークダグラスは現代の俳優ほど自然な演技ではないと感じました。
 遥かなる時間を経ているため、今を生きている私たちは感覚が肥えているのだと思うのです。
 それにしても原題と邦題を比べると後者の内容に対するずれが大きいのに驚きます。作品の中身とのマッチングなど無視して興味を引きさえすればよいという厚顔無恥なスタンスで邦題を付けています。僅かに原題を直訳した邦題や原題のニュアンスを残す為の苦心の跡が感じられるのもありますが…。〈ガンファイター〉ではまるで拳銃ドンパチだけの映画のようです。
 蛇足ですが、キャロルリンレイは現在70歳?、カークダグラスもなんと96歳?で存命です。年齢に驚きますが、私だって当時16歳だったのですから。

(2013/01/12 )
 皆様、新年明けましておめでとうございます。静かな新年を迎えることができました。我が国を俯瞰すると心穏やかではいられないことも多々ありますが、ほんのひと時俗世を忘れて年を越すことができました。
 年末の恒例の歌番組もチラッと視線を移す程度にして、いつもどおりに21:00に就寝、元旦は3:30頃に起床しました。就寝時刻と起床は禅宗の修行僧と同じですが、もちろん何の修行もしていません。…年末の歌番組その他が“喧騒”に思えてしまうのです。
 あのお祭りのような時間を過ごしたあと、突然全国の?寺院から鳴り響く除夜の鐘がオンエアされます。108ジャンルもの煩悩を超越する鐘の音です。除夜の鐘で煩悩を超越した?筈の人々が次の瞬間各地の神社へ二年参りをするのです。神社へのお願いはおそらく各人の願いごと即ち煩悩が成就しますように…です。
 偉そうなことを言うつもりはありません。私だって“喧騒”に背を向けていつもどおりに早寝早起きをしているだけで煩悩だらけの人間です。考えてみればお金だって、上から2番目に大切なものだと思うのです。お金を得ようとすることを賤しいという感じ方もありますがきっと大きな間違いです。できるだけ多くの人に優しく心地よいやり方でお金を獲得し、同じやり方でお金を遣えばいいと思います。
 どんなに悟りを開いているように見える僧侶や神官、牧師さんや神父さんでもお金に無縁ではいられない筈です。
 上から一番目に大切なことは“幸せ”だと思いますが、とてもあいまいな概念です。でもお金があれば“幸せ”の条件を買うことができると思うのです。条件ですからお金だけでは幸せになれるとは限りません。
 ちょっと生意気だったでしょうか…。今年もどうぞよろしくお願いします。

(2013/01/02 )
 今年もあと7日を残すのみとなりました。月日の数字が進んでいくのを意識しないで過ごしているためか、毎年今頃になって「もう今年も終わりなのか…」と気が付きます。
 パソコンがインターネットに繋がってからネットショップで買い物をすることが多くなりました。都会では事情が違うのでしょうが、近隣の店舗では目的の商品が見付からなかったり値段が高かったりするからです。クルマで数分の場所に〈ヤマダ電機〉がありますが、希望の商品を見付けてネットショップと同じ値段にできるかどうか尋ねますと、言下に「できません。…ネットと同じにしていては…」とけんもほろろの対応でした。未だこの辺りではネット通販を利用する人が少数派のようです。もし多数派なら大手家電量販店もそんな態度ではいられない筈です。
 ただネットには注意しなければいけないことが複数あります。注意していてもカード情報が漏れることがあります。以前、カード会社から突然電話が入って『○△国での利用がありますが、カードを利用された覚えがありますか?』と言います。私は未だ外国旅行をしたことがありません。驚いて『!…ぁありません』と答えました。その時点で当該カードを利用停止の処置にしてくれました。○△国での利用については金額・国名・利用日時など私は知らないままに負担なしの処理にしてくれました。ネットショップの知名度や信頼性、安全性を考えながら利用していたつもりでも情報漏れがあります。しかし店舗と値段があまりにも違うと、ついネットで買ってしまうのです。
 先日ニコン一眼レフ用のACアダプターを買いました。専用電池と同じ形をしたコネクターにつないで使う“電源”です。ACアダプターは見た目も用途もノートPCのアダプターと同じだと思いますが、(許容電圧、電流、制御回路はそれぞれに違いありません)とても高価なものです。単独で求めたことがないので知りませんでした。今回はネットでアダプター、コネクターともに中古品(新品同様で箱や説明書なし)を見付け、購入しました。中古品を自分で購入したのは初めてですが、関連した知識を得ることが来ました。商品については勿論満足できました。
 来年はどんな年になるのでしょうか。あまり変わり映えない年かも知れません。しかし平凡な“普通の暮らし”こそ最高かも知れないとも感じるようになりました。みなさまどうぞ好いお年をお迎えください。

(2012/12/25 )
 現在はよほどのビッグニュースでないと驚かなくなりました。世の中に“何でもあり”の風潮が広がってきたからでしょう。しかし数日前に角田美代子が留置場内で自殺を遂げたというニュースを聞いたときは驚きました。ニュースから知る限りでは10指に迫るほどの人を金のために殺した女ということです。その殺し方も如何にも惨いやり方です。
 戦争中に対戦国の人々を人間とも思わない惨いやり方で殺すというのは歴史的にざらにあることですが一応平和な時代に金を目的に大勢を殺すというのは人としての素質に欠陥があるのでしょうか。
 そんな女が起訴される前に留置場の中で自殺を遂げたとは…。しかも独房でなく3人房だったというのですから…。他の2人は気付かなかったのでしょうか。謎だらけの事件のカギを握る容疑者の謎の自殺です。
 しかし、以前瀬戸内寂聴さんがテレビでお話をされていました。『人間が“命”を懸けて行動するなら誰にもどうしようもない』のです。私たちはつまるところ自分が幸せに暮らしたいのです。その思いが行動を規制しているのです。健康でありたいので日々の生活に留意しています。刑務所に入りたくないので犯罪を犯さないように自制しています。…で、自分の命を懸けてしまえば何でもやれるという訳です。
 そんなことを考えていると、思い出しました。いつもはあからさまに想ったりしないのですが、国家というのは何だろう?と突き詰めてみると、明らかに『暴力』だと思うのです。国家・地方の自治体の存在を支えているのは明らかに『暴力』です。法律で認められている暴力が国家を支えています。一番強力なものが軍事力、次が警察でしょうか。国民にとって、そんな“おっかない”存在があるからこそ、それ以下の暴力を抑制することができるのだと思います。
 角田美代子が国家を恐れず金のために殺人鬼と化しましたが、囚われの身となって、もはや国家を裏付けている暴力に対抗できないと悟り、自殺を果たしたのだと思うのです。

(2012/12/16 )
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